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旅のおとも〜林芙美子さんの『放浪記』

林芙美子さんの『放浪記』をたずさえながら旅をすることが多いです。

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『放浪記』より引用します。

古い時間表をめくってみた。どっか遠い旅に出たいものだと思う。真実のない東京にみきりをつけて、山か海かの自然な息を吸いに出たいものなり。

あんまり昨日の空が青かったので、久し振りに、古里が恋しく、私は無理矢理に汽車に乗ってしまった。


林芙美子さんの気持ちわかります。
情熱や憂いも怒りも泣きたい気持ちも、欲情すらも素直に表現している林芙美子さん。

ふたたび引用します。

地球よパンパンとまっぷたつに割れてしまえ! と怒鳴ったところで、私は一匹の烏猫、世間様は横目で、お静かにお静かにとおっしゃる。

ああ何もかも犬に食われてしまえである。寝転んで鏡を見ていると、歪んだ顔が少女のように見えてきて、体中が妙に熱っぽくなって来る。


思わずにやりとしてしまいます。
林芙美子さんの素直な自分の気持ちの表現は、気持ちよいばかりだけでなく憧れすら感じてしまいます。


by momokororos | 2017-04-30 13:24 | | Comments(0)

街を一緒にさまよいたい林芙美子さん

都会の喧騒渦巻く繁華街や、繁華街からはずれた暗く闇に溶けこむ街を歩いていると、林芙美子さんの『放浪記』を思いだし、『放浪記』を読むとそんな街への憧れが募ります。

時代の異なるさまざまな建物や、さまざまな人たちや、異なる想いや期待が入りまじった都会の華やかとあやういとも思える雰囲気に、何度通っても魅力を感じます。それは街を歩くだけでも飽きることはありません。

これまで幾度となく日記に取りあげてきた林芙美子さんの『放浪記』。
その魅力を紹介している川本三郎さんの『林芙美子の昭和』を再び読んでみました。持っているにもかかわらず、また図書館で読んでいました。

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写真は家に帰ってきてから、持っている本を撮りました。

川本三郎さんは、林芙美子さんの『放浪記』のことをこう書いています。

投げやりというのかやけっぱちというのか、ふてくされたような言葉が次々に投げつけられてゆく。(中略)
この文体は何かに似ていないだろうか。そう、東京という都市の雑踏そのものに似ている。『放浪記』の世界が東京での暮しから生まれているだけではない。文体そのものが都市から生まれている。にぎやかな冗舌体や俗語の多用は、林芙美子がカフェーやセルロイドの工場で働きながら使っているぶっきらぼうな言葉そのものであり、カタカナはにぎやかな都市の音である。体言止めは、雑踏を歩いている林芙美子が町角ごとに立ち止まって、あたりを感嘆したり、怒ったりしながら見まわしている姿のあらわれである。一貫性のない、それでいて全体としては熱気と感傷をはらんだ文体は、都市のざわめきそのものである。
[川本三郎、『林芙美子の昭和』]

まさに、わたしが放浪記と都会に惹かれている理由がそこかもしれません。
街のお洒落なところだけではなく暗くて猥雑なところや、それらが混在していることに魅力を感じます。あやうい場所にあやしい思惑が渦巻き決して安全ではないかもしれませんが、そんな闇の部分も街の魅力の1つです。

さらに、川本三郎さんは海野弘さんの文章を引用しています。

海野弘は、『モダン都市東京』(中央公論社、昭和58年)のなかで、カフェーの女給から出発した林芙美子と平林たい子のことを次のように書いている。

こうして二人の女は、すぐ近くの新宿三丁目のカフェーで働くようになる。1920年代の東京を彼女たちが、いわば身体を張って放浪してゆく生き方はすさまじい。彼女たちの見た都市空間は、同時代の男たちが見たそれよりもずっとリアリティがある。それは悲惨である。しかしそれにもかかわらず、大都市のすべてを見ようとして、街へ大胆に歩みだしてゆく自由な姿勢において、二人はまぎれもなく1920年代の女なのだ。
[川本三郎、『林芙美子の昭和』]

この前の日記にも書きましたが、1920年代も憧れてやまない時代です。

憤りに失望や挫折感を感じながらも、街や人に恋し、希望の光を見いだしささやかな期待をたくすことは、林芙美子さんが情熱的に生きた時代となんら変わらないような気がします。

ふと、林芙美子さんみたいな人と街をさまよいたかったと思いました。


「1920年代の魅力〜『1920年代の光と影』」〜2016年 11月 15日の日記
http://momokoros.exblog.jp/24928915

「林芙美子さんに想いを寄せて〜『放浪記』」〜 2016年 10月 29日の日記
http://momokoros.exblog.jp/24773613/

「『放浪記』の魅力〜林芙美子さん 」〜2016年7月25日の日記
http://momokoros.exblog.jp/24552378/

「渋谷道玄坂のにぎわい~大正時代と今 」〜2016年3月13日
http://momokoros.exblog.jp/24216625/

by momokororos | 2016-11-22 23:46 | | Comments(0)

林芙美子さんに想いを寄せて〜『放浪記』

林芙美子さんの『放浪記』。
いろんな本を読みながらも、気がついたら『放浪記』にもどってきている自分がいます。

今宵は、昭和25年発行の中央公論社版の『放浪記』を読んでいます。

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夜の都会を歩いていると放浪記の林芙美子さんを想い、放浪記を読んでいると夜の都会を懐かしみます。
林芙美子さんのやりきれない気持ちがわかるし、うれしさを抑えきれない気持ちもよくわかります。

男と云ふ男はみんなくだらないぢゃないの!蹴散らかして、踏みたくつてやりたい怒りに燃えて、ウヰスキーも日本酒もちやんぽんに呑み散らした私の情けない姿が、かうしていまは静かに雨の音を聞きながら床の中にぢつとしてゐる。今頃は、風でいつぱいふくらんだ蚊帳の中で、あのひとは女優の首を抱へてゐることだらう……そんなことを思ふと、私は飛行船にでも乗って、バクレツダンでも投げてやりたい気持ちなのです。
[林芙美子、『放浪記』より]

魂の声とも思える林芙美子さんの言葉。どん底に落ちながらも陰鬱感は感じません。むしろ微笑んでしまう感じで共感してしまいます。
「バクレツダン」ですか?って林芙美子さんと会話してみたくなります。


少し長いけど引用します。

白い萩の花が咲いてゐるところで横になる。草をむしりながら噛んでみる。何となくつゝましい幸福を感じる。夕陽がだんだんと燃えたつてくる。
不幸とか、幸福とか、考へた事もない暮し
だけれど、この瞬間は一寸いゝなと思ふ。しみじみと草に腹這つてゐると、眼尻に涙が溢れて来る。何の思ひもない、水みたいなものだけど、涙が出て来るといやに孤独な気持ちになつて来る。かうした生きかたも、大して苦労には思はないのだけれど、下宿料が払へないと云ふ事だけはどうにも苦しい。無限に空があるくせに、人間だけがあくせくしている。
夕焼の燃えてゆく空の奇跡がありながら、さゝやかな人間の生きかたに何の奇跡もないと云ふことはかなしい。別れた男の事をふつと考へてみる。憎いと思ふところはみんな忘れてしまった。
いまは眼の前に、なまめかしい、白い萩が咲いてゐるけれど、いまに冬が来れば、この花も茎もがらがらに枯れてしまふ。ざまあみろだ。男と女の間柄もそんなものなのでせう。不如帰の浪子さんが千年も万年も生きたいなんて云つているけれど、あまりに人の世を御ぞんじないと云ふものだ。花は一年で枯れてゆくのに、人間は五十年も御長命だ。あゝいやな事だ。
[林芙美子、『放浪記』より]

「ざまあみろだ」ていう言葉が出てきます。お花に対して普通だと嫌に思う言葉だと思うけど、林芙美子さんの心情を察して苦笑せざるを得ません。
林芙美子さんの何を知っているわけではないのですが、素直な気持ちを吐露する林芙美子さんへの憧れにほかならないと思っています。

前に林芙美子さんのことを書いたブログでも書いていますが、自分のうれしいことやかなしいこと、そして自分の嫌な部分もさらけだして語る姿に憧れを感じます。

何度読み返したかわからない『放浪記』。今宵は飲みながら、林芙美子さんと語りたいと思います。林芙美子さん、いい人生過ごしましたねっ言ってあげたいです。


「『放浪記』の魅力〜林芙美子さん 」〜2016年7月25日の日記
http://momokoros.exblog.jp/24552378/

「渋谷道玄坂のにぎわい~大正時代と今 」〜2016年3月13日
http://momokoros.exblog.jp/24216625/

by momokororos | 2016-10-29 23:00 | | Comments(0)

『放浪記』の魅力〜林芙美子さん

林芙美子さんの『放浪記』。
ときどき取りだしてきて、好きなところをきままに読みかえしています。

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地球よパンパンとまつぷたつに割れてしまへ!と怒鳴つたところで、私は一匹の烏猫、世間様は横目で、お静かにお静かにとおつしやる。

[林芙美子さんの『放浪記』より]

なんとも奔放で豪快で、林芙美子さんらしいです。

お腹がすくと一緒に、頭がモウロウとして、私は私の思想にもカピを生やしてしまつた。
あゝ私の頭にはプロレタリアもブルジュワもない。たつた一握の白い握り飯が食べたい。いつそ狂人になつて街頭に吠えようか!
「飯を食はせて下さい」
眉をひそめる人達の事を思ふと、いつそ荒海のはげしい情熱の中へ身をまかせようか。

[林芙美子さんの『放浪記』より]

『放浪記』は、小説の中で一二を争うほど好きな本です。
強いところも弱いところも素直に表現している林芙美子さん。
いきどおるココロに、厭世的な気持ちに、楽天的な気持ち。矛盾をかかえながら、蹴とばし、へこみながらも、他人を自分を笑いとばしながら生きていく人間らしい主人公にいたく共感してしまいます。

舞台は、渋谷道玄坂、神楽坂、新宿、三軒茶屋であったりして、大正末から昭和初期の東京の街に想いを寄せます。

いまの普及している『放浪記』の前に書かれている改造社版の『放浪記』は、林芙美子さんの素直な感情が書かれていると言われています。
比べてみたことはないのですが、新潮文庫の『放浪記』も持っているので比べてみたいです。

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みすず書房の『放浪記』は改造社版で、巻末に改造社版から林芙美子さんがどう書き換えたかを詳しく解説しています。








by momokororos | 2016-07-25 20:25 | | Comments(0)

三軒茶屋散歩~聖徳太子参道

この前、三軒茶屋にある皿うどんを食べたくなり、久しぶりに三軒茶屋に降りたちましたが、少し歩いたところにある皿うどんのお店はお休みでした。
近くにあるスペイン料理のお店かインドカレーのお店にするか迷ったのですが、インドカレーのお店で食べることにしました。
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ポークチリキーマ、バターチキン、季節のベジタブル ミントの香りの3種カレーにしました。
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そんなに辛くないと思って食べていたのですが、汗びっしょりでした。バターチキンが一番甘くて美味しかったです。

そのまま茶沢通りを下北沢方目に歩きます。

途中、ゴリラのいるビル。思わずパチリ。
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さらに歩くと、こんな石碑がありました。
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「聖徳太子参道」なんて、行ってみないわけにはいきません。

住宅街の中に円泉寺というお寺があり、かなら大きな木です。
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その近くに、林芙美子旧居の看板がありました。
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林芙美子さんは、大正14年の21歳のときに、渋谷道玄坂と太子堂あたりに住んでいたことがあります。太子堂あたりを描いた小説とかエッセイはあるのかな。あるなら読んでみたいです。

代沢十字路まで歩き、美味しいスイーツのお店で食べて行きたかったのですがこちらも閉まっていたので、バスで渋谷にでました。

三軒茶屋は美味しいお店がいろいろある下町的な街で、たまに寄ります。
by momokororos | 2015-05-28 22:39 | | Comments(0)