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神戸への想い〜「しあわせ運べるように」

大好きでいつまでも憧れている神戸。

震災の神戸のことを想い、神戸を応援する歌があることを最近知りました。
神戸の学校で歌われていた歌とのことです。


「しあわせ運べるように」

(映像には、震災直後の神戸の風景を含みます)



https://youtu.be/LDngfGdrYjk


阪神・淡路大震災は1995年で、25年たちます。
わたしが神戸を訪れはじめたのは、2000年頃からなので、震災から復興して震災の爪跡が見えなくなった頃です。

震災直後の神戸に行く機会があったにもかかわらず行かなかった想いや、神戸への想いとは違う想いも重なり、やさしい詩と川嶋あいさんの澄んだのびやかな歌声に何度聞いても涙がとまりません。

大切にしたい想いをどんなカタチでも伝えられるといいなと思います。



# by momokororos | 2020-06-24 21:59 | 気持ち | Trackback | Comments(0)

ただ黙って一人になること〜ヴァージニア・ウルフさんの『燈台へ』

ヴァージニア・ウルフさんの『燈台へ』をしばらく前に読んでいました。

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この文庫本は、高校生のときに買った本で、何年か前に探して出てきた本です。

探しものの本〜『海からの贈物』と『燈台へ』
2016年11月23日の日記

この日記の中に登場する、アン・モロウ・リンドバーグさん(リンドバーグ夫人)の『海からの贈物』はすぐに読んでいます。

『海からの贈物』〜リンドバーグ夫人
2016年11月19日の日記

リンドバーグ夫人の想い〜『海からの贈物』
2016年11月29日の日記


ヴァージニア・ウルフさんの『燈台へ』は、昨年12月に女性の作家の本棚を作っていたとき、取りだしやすいところに並べていたのですが読んでいませんでした。


再び、ヴァージニア・ウルフさんの『燈台へ』を読むきっかけになったのは、借りて読んでいた、レベッカ・ソルニットさんの『説教をしたがる男たち』の本にヴァージニア・ウルフさんのことが書いてあったからです。

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引用します。

『燈台へ」で、ウルフは書いている。
いまはもう、だれのことも考えなくていい。自分自身で、ひとりきりでいられる。近頃はそうしなくてはならないと思うことがよくあった。考えるためにーいえ、考えるためですらない。黙っているため、ひとりになるために。あらゆる存在や行為、拡がりをもち、きらめき、声を発しているものは蒸発してしまった。そのとき人はある種の荘厳さをもって自分自身になり、楔形の闇の中心へ、ほかの人たちには見えないなにかへと収縮していく。背筋をのばして腰かけ、編み物を続ける間にも、心の中ではそんな風に感じていた。そしてくっついているものをすべて取り払ってしまうと、自己はどんな不思議な冒険でも自由に受け入れることができる。生命が少しの間動きを止めると、経験できることの範囲は果てしなく思える。(中略)その下には闇が四方に拡がっていて、底知れない深さだった。でもときどき私たちは表面へと浮かび上がってくる。それが、他人から見た自分というものだ。地平線は果てしなく拡がっているように思えた。
[レベッカ・ソルニット、『説教をしたがる男たち』より]



同じくだりは、新潮文庫の『燈台へ』(中村佐喜子さん訳)ではこう訳されています。

もう誰にも気がねは要らない。自分だけだ、自分だけが相手だ。そして近ごろよく、その必要を感じるのだけれど、―考えること、いや、あえて考えなくといゝ。黙っていること、ひとりになることである。実在と行為、拡がり、輝き、声、そういうものがみんな消滅してしまう、そして人は、荘厳な感覚のうちに、ひとには見えぬ真黒の、くさび型をした精髄である自我へ縮小してゆく。夫人は編ものをつゞけながら姿勢よく坐っているけれど、自分がそんなものになってゆく感じであった。
そして、贅物を取りのぞかれたこの自我は、自由にふしぎな冒険ができそうに思われた。一と時、実生活がなくなると、経験の範囲は無限になってゆく。
[ヴァージニア・ウルフ、『燈台へ』(新潮文庫、中村佐喜子=訳)より]



岩波文庫の『灯台へ』も買って読んでみました。

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先と同じくだりですが、少し前の文章から引用します。


そうだわ、と夫人は、ジェイムズが切り抜いた冷蔵庫、芝刈機、礼服姿の紳士の絵などを片づけながら、しみじみ思った―子どもは決して忘れない。だからこそ、大人が何を言い何をするかはとても重要で、あの子たちが寝てしまうと、どこかホッとする。これでやっと誰に対しても気を遣わなくてすむ。一人になって、わたし自身に戻れる。そしてそれは、最近しばしば彼女がその必要を感じることだった――考えること、いや
考えることでさえなく、ただ黙って一人になること。すると日頃の自分のあり方や行動、きらきら輝き、響き合いながら広がっていたすべてのものが、ゆっくり姿を消していく。やがて厳かな感じとともに、自分が本来の自分に帰っていくような、他人には見えない楔形をした暗闇の芯になるような、そんな気がする。相変わらずすわって編物を続けながら、夫人はこんなふうに自分の存在を感じていた。そしてこの隠れた自分は、余分なもの一切を脱ぎ捨てているので、自由に未知の冒険に乗り出すこともできそうだった。
[ヴァージニア・ウルフ、『灯台へ』(岩波文庫、御輿哲也=訳)より]


御輿哲也さんの訳が一番わかりやすいかなと思います。


そういえば、やはり編み物をして自分を忘れ雑事から解放されるというくだりが載っている本を最近読んでいます。編み物をする人からもよく聞きます。



ヴァージニア・ウルフさんの先に引用したくだりの中の「ただ黙って一人になること」は、メイ・サートンさんも『独り居の日記』では、「自分だけの時間」としてこう書かかれています。

家事や家族の雑用をこえて、彼らがしたいことを行なうための空間をつくり出すことは、女にとっての方がよほどむずかしい。女の生活はこまぎれである……私がたいへんな数の手紙から受けとるのは、その嘆きである ーー 『自分だけの部屋』〔ヴァージニア・ウルフの著名の題名〕というよりも自分だけの時間を求めての叫びなのだ。どんな事柄についてであれ、少なくともその解決を試みるためのゆとりがない日は、深刻な問題になる。
[メイ・サートン、『独り居の日記』より]


前に読んだ、アン・モロウ・リンドバーグさんの『海からの贈物』の一節には、「一人で静かに時間を過す」ことの大切さが書かれています。

女はそれとは反対に、一人で静かに時間を過すとか、ゆっくりものを考えるとか、お祈りとか、音楽とか、その他、読書でも、勉強でも、仕事でも、自分の内部に向わせて、今日の世界に働いている各種の遠心力な力に抵抗するものを求めなければならない。それは体を使ってすることでも、知的なことでも、芸術的なことでも、自分に創造的な生き方をさせるものなら何でも構わないのである。それは大規模な仕事や計画でなくてもいいが、自分でやるものでなくてはならなくて、朝、花瓶一つに花を活けるのは、詩を一つ書いたり、一度だけでもお祈りするのと同様に、忙しい一日の間、或る静かな気持を失わずにいる結果になることもある。要するに、少しでも自分の内部に注意を向ける時間があることが大切でなのである。
[リンドバーグ夫人、『海からの贈物』より]


一人でゆっくりとできない状況を感じ、みずから一人になる時間を望んでいる3人の女性たち。一人になり静かに過ごすことの大切さを感じます。


一人になりたいことを書いてある本を紹介した日記です。
串田孫一さんの『山のパンセ』、アーノルド・ローベルさんの『ふたりはきょうも』、メイ・サートンさんの『独り居の日記』です。

「ひとりだけの素敵な時間〜3冊の本より 」〜2016年11月1日の日記
http://momokoros.exblog.jp/24789955/




# by momokororos | 2020-06-23 22:09 | | Trackback(4) | Comments(2)

居心地のいい場所〜本に囲まれる場所

お部屋の2つの本棚の真下に椅子をもってきて本を読んでいます。

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この写真は椅子が置いていないのですが、本棚の前の隅に椅子を置いています。
右の本棚とその左隣りの本棚は女性作家の本棚なのですが、その前に座っていると、手をのばすだけで好きな本がとれて快適です。
本を読むのは何ヶ月ぶりなのですが、この場所に座ってからまた読みはじめています。


篠田桃紅さんの『桃紅 わたしというひとり』、志村ふくみさんの『ちようはたり』、鴨居羊子さんの『午後の踊り子』、ヴァージニア・ウルフさんの『自分だけの部屋』、神谷美恵子さんの『ヴァジニア・ウルフ研究』、メイ・サートンさんの『独り居の日記』、堀多恵子さんの『堀辰雄 妻への手紙』、二階堂奥歯さんの『八本脚の蝶』、広津里香さんの『広津里香詩集』などの本を、途中まで読んでは他の本を読んだり、行きつ戻りつ過ごしていました。

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座っているところから、前を見上げるとこんな風景です。

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座っている場所の右前と正面の本棚は、絵本の本棚です。

座っている場所は、上から本が落ちてこないとも限らない場所なのですが、窓から緑の風景を眺め、風を感じ、お庭や少し離れた林からのいろいろな鳥たちの唄も聞こえてきて心地よいです。

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# by momokororos | 2020-06-21 10:13 | | Trackback | Comments(2)

さわやかで澄んだ思い出〜増田れい子さんの『白い時間』

増田れい子さんの『白い時間』。

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東京中目黒のCOWBOOKSさんのスタッフさんからすすめてもらった本です。

スタッフさんは高田敏子さんの感じに似ていると言っていました。わたしは少し読んで幸田文さんをもっとやさしくした感じかなと話していたのですが、もっとやさしくやわらかな感じの文章でした。なるほど高田敏子さんに近いかもです。

子どもの頃に感じた想いや記憶の追憶なのですが、菜の花畑を眺め、菜種油で揚げた天ぷら。雨の日の水溜まりをさけた忍者歩き。麦畑に揺らす風を感じ、麦を刈りとる喜び。庭の梅の木と梅酒の思い出。
見た風景だけではなく、味わったり体を動かした記憶によって、思い出をさらに想い出深いものとして表現されていて、その思い出を追体験しているかのような感じがします。懐かしい気持ちとさわやかさを感じる澄んだ文章です。ここまですがすがしさを感じる文章は久しぶりです。


少し長いですが、増田れい子さんの文章を引用します。

春のよろこびにひたるのは、桜にあったときでも、桃や椿の紅を見たときでもない。私の場合は、菜の花である。
「三月から四月にかけて、一度でも、詩にうたわれたように、一面の菜の花にあえたら、至福である。都会暮らしがいつの間にか長くなって、よほど機会に恵まれない限り、一面の菜の花にあうことは稀だ。正直いってここ数年、いや十年にもなろうか、目路の限りの、菜の花畑にはあっていない。
はるか昔、まだ幼少のころに、そのような風景をほしいままにして、その残像が、私の内部にしまわれ、この季節になると、頭の中にせり上がってくる。その幻の菜の花畑に、随時遊ぶのがならわしである。
記憶というのはほんとうに嬉しい。それは決して摩滅することなく、時に応じてあざやかにうかび上がり私をとりまく。
[増田れい子、『白い時間』より]


純粋無垢に夏を愛し、夏に愛されたのは、やはり、こどものころであろう。
朝は、カナカナ蝉の音楽で目ざめた
夢のかなたから、潮騒のようにそれは押し寄せてくる。家のまわりの木という木に、カナカナ蝉がいならび、いっせいに音楽をはじめるようであった。午前四時か五時か、朝日がまだ昇り切らぬ、薄明のなかで、蝉は夏のうたをうたった。
[増田れい子、『白い時間』より]


全編にわたり素敵な文章がつづられています。

薄田泣菫さんの庭の自然の描写が素敵でいいなと思ったことありますが、増田れい子さんの文章はまた違った魅力です。


珠玉の随筆〜薄田泣菫さんの『獨樂園』
2015年3月19日の日記



# by momokororos | 2020-02-23 22:34 | | Trackback | Comments(1)

ハンバーグ〜横浜美味しいもの

今日は新横浜にでていました。

ずっと憧れていた横浜野毛にある洋食のキムラさんの支店が、駅ビルにあったのでお昼にいただきました。

ハンバーグセット。

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やわらかだけど、味がしっかりと感じさせるハンバーグ。卵と一緒に食べてもさほど味は変わらない。もともとのハンバーグがおいしいからかもしれません。

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本店でも食べてみたいです。

# by momokororos | 2020-02-21 22:46 | グルメ | Trackback | Comments(0)