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お部屋のもう一方の本棚

お部屋の本棚。

職場が都内に移るタイミングで、職場内に置いてあった仕事関係の私物の本を150冊くらい引きあげてから、部屋の中に本の山が林立し、目も当てられない状態でした。
かなり時間をかけて、奥にしまいこんでいた雑誌をたくさん捨てて、部屋の中で積み重なっていた本の山々を崩して、おさめるべきところに収めました。

部屋の本棚が並んでいる場所とは逆側に置いている絵本の本箱です。

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上に並んでいるのは詩集などです。

後ろのクローゼットの中は、雑誌やらパンフレットやらいろいら捨てて、衣類も別の場所に移し、本ばかりになりましたが、4重も5重にも奥に本が縦列に並んでいるので、なんとかしたいのですが、いつもなんともなりません。





# by momokororos | 2020-07-02 22:30 | | Trackback | Comments(0)

可愛らしさと色っぽさと〜奈良の女人高野室生寺

奈良の室生寺。
奈良の山奥にあるお寺で、訪れたお寺はたくさんあるなか、奈良のお寺の中で室生寺ほど回数重ねて訪れたお寺はありません。

室生寺には魅力はあまたありますが、一番の魅力は、可愛らしいふっくらとお顔立ちをされた十一面観音さまです。
室生寺の金堂に収められています。回廊から堂内の仏像まで距離があり暗くて見にくいのですが、雰囲気だけ味わっています。

この十一面観音さまを素敵に撮っているのが土門拳さん。

山形の酒田にある土門拳記念美術館で見た十一面観音さまの横顔の写真が素敵でした。
記念館では展示の写真がどの写真集に載っているかわかりませんでした。

室生寺のたたずまいと十一面観音さま〜土門拳記念館
2015年5月22日の日記


持っている土門拳さんの写真集の『土門拳 古寺を訪れて 奈良西ノ京から室生へ』の中には、室生寺の十一面観音さまのこんな写真があります。

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[土門拳、『土門拳 古寺を訪れて 奈良西ノ京から室生へ』より]


ふっくらとしたお顔立ちがよくわかります。
このアップの写真をみると、人によってはどうかなと思うかもしれませんが、わたしは可愛らしいと思っている室生寺の十一面観音さまです。

白洲正子さんはこの観音さまのことをこう書いています。

金堂は西側の扉から入るようになっており、入った所に十一面観音が立っていられた。お堂の中は暗くて、殆んど何も見えないが、ほのかな斜光の中に、観音様だけが浮び上り、思いなしか今日はことさら尊く見える。多くの十一面観音の中でも、この仏像は特に有名で、翻波式と呼ばれる衣文の彫りも、彩色も、貞観時代の特徴をよく止どめている。が、私にいわせればやはり山間の仏で、平野の観音の安らぎはない。両眼をよせ気味に、一点を凝視する表情には、多分に呪術的な暗さがあり、まったく動きのない姿は窮屈な感じさえする。
[白洲正子、『十一面観音巡礼』より]

「平野の観音の安らぎはない」とありますが、言われてみればそうかもしれないと思いますが、それにしても魅力ある観音さまです。



土門拳さんは『土門拳 古寺を訪れて 奈良西ノ京から室生へ』の中で、室生寺金堂の十一面観音さまのことをこう書いています。

金堂内陣の仏像の中ではこの十一面観音は非常によくできていて、本尊薬師如来とともに金堂の諸仏の中で優れたものである。肉身は胡粉地に彩色をほどこし、宝髻や、衣服の緑青などの痕、唇の紅が比較的残り、銅製の宝冠、胸飾りをつけ、はなはだ現実的な感じをもっている。顔は下ぶくれ、瞼ははれぼったくなって女性的である。金堂、五体の諸仏の内で最も肉感的なおもむきをもっていて特色がある。
金堂に入ると真っ先にこの観音像に魂を奪われる。薄暗くてぼーと暗闇の中に浮いている姿にたまらない色っぽさを誰もが感ずるであろう。唇に残る朱は、何ともいえず色っぽさに一段と味を加えて魅力をなしている。視線は中空を走り、仏の視線を追いかけようとしてもとどまらず、中空を走っていってしまう姿に魅了される。
[土門拳、『土門拳 古寺を訪れて 奈良西ノ京から室生へ』]

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[土門拳、『土門拳 古寺を訪れて 奈良西ノ京から室生へ』より]


わたしがこの観音さまに感じる思いは土門拳さんに近い感じです。可愛いさに色っぽさが加わった魅力です。色っぽさを感じる仏像は他にもいろいろあって、こんな色っぽさも仏像の魅力の1つです。



室生寺のことは、岡部伊都子さんが素敵な歌にしています。

月明りの夜など
室生寺の金堂の舞台へ出て話し合っている
仏像たちを想像する。
(「露きらめく 伊都子短章」より)


「露きらめく 伊都子短章」〜岡部伊都子さんの本
2014年1月13日の日記


室生寺金堂には、十一面観音さまの他にさまざまな仏像があって、わたしもそんな光景を想像し、いにしえのロマンにひたれます。



部屋の中にバラバラになっている奈良や仏像関連の本を掘りだし、ふたたび見いっています。

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# by momokororos | 2020-06-30 22:24 | お寺 | Trackback | Comments(0)

まさに一歩踏みいださん〜奈良法華寺と滋賀湖北石道寺の十一面観音さま

會津八一さんの奈良の法隆寺の救世観音さまのことを詠った歌を篠田桃紅さんが引用しているのを読んでから、ふたたび仏像への興味が再燃しています。
ここしばらく持っている奈良や滋賀のお寺や仏像のことを書いてある本をみています。

白洲正子さんの『十一面観音巡礼』。

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この本の中に、奈良の法華寺について書いたくだりがあります。


近江の石道寺の十一面さんも、右足の親指をちょっとそらせており、それが大変媚かしく見えると、私は前に書いたことがあるが、気がついてみると、この観音も爪先をそらせている。それだけのこと
で、全体の調子に動きを与え、遍歴することによって衆生を救うという、観音の本願が表現されている。
[白洲正子、『十一面観音巡礼』より]

「この観音も」というのが法華寺の観音さまです。

『白洲正子 十一面観音の旅』に、法華寺と石道寺(しゃくどうじ)の十一面観音さまの写真が載っているので引用します。

奈良の法華寺の十一面観音さま。

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[『白洲正子 十一面観音の旅』より]


よく見ると、右足の親指が上がっています。


滋賀の湖北の石道寺の十一面観音さま。

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[『白洲正子 十一面観音の旅』より]


こちらも右足の親指が上がっています。

この足の親指があがっているのは、「遊び足」と言われ、すべてのものを救おうと一歩踏み出す一瞬を表しているそうです。



會津八一さんの法華寺の十一面観音さまの歌です。

ふぢはら の おほき きさき を うつしみ に あひみる ごとく あかき くちびる

藤原時代のあの立派な皇后を実際に目のあたりに相見ますような生き生きとした美しい赤い唇の色であることよ

うつしみ、は「現実に」の意味です。

「おほききさき」は、藤原不比等の娘の光明皇后のことです。
おほき、というのは、光明皇后が仏に誓って1000人に蒸し風呂を施したことからです。

この蒸し風呂を詠った會津八一さんの歌もあります。

からふろ の ゆげ たち まよふ ゆか の うへ に うみ にあきたる あかき くちびる



法華寺にも石道寺にも行ったことがないのですが、奈良の法華寺は秋篠寺と合わせて、近江湖北の石道寺は向源寺と合わせて行きたいなと想いを馳せます。


滋賀の湖北は、金沢と京都のあいだにあります。
わたしは金沢から京都方面に行くときの途中で湖北の近江塩津駅を通っているのですが、特急サンダーバードに乗ってしまっているので近江塩津駅は停車せずに素通りしてしまっていて、長浜以外は湖北に降りたったことはほとんどないです。近江塩津は、播州赤穂や姫路からの新快速電車の終着駅でもあってよく近江塩津行きの新快速を見かけます。

金沢から、サンダーバードか特急しらさぎで敦賀まで出て、北陸本線の新快速の播州赤穂行きか姫路行きに乗り換えかなと思って調べてみたら、金沢から特急しらさぎで長浜まで行って各駅停車の電車で戻る行き方もあるみたいです。
長浜には以前行ったことがあるので、敦賀でいったん降りて乗り換えて行くのがいいかなと思ってます。若狭の小浜あたりもいいお寺があるので寄りたいです。



お寺や仏像関連の本は部屋の奥にしまってあったのですが、引っ張りだしてきて再度いろいろ読んでいます。

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# by momokororos | 2020-06-29 22:46 | お寺 | Trackback(140) | Comments(0)

われ一人いて立つ〜奈良法隆寺夢殿の救世観音さま

會津八一さんの歌。

あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき この さみしさ を きみ は ほほゑむ

(天地のあいだに、われひとり立っているかのようなこのさみしさを、あなたは超然としてほほえんでおられる。)


この歌は、會津八一さんの「南京新唱」に載っている歌で、奈良の法隆寺夢殿の救世観音(ぐぜかんのん)さまのことを詠っています。

會津八一さんの『自註鹿鳴集』という本を持っているのですが、お部屋を探して出してきました。その中に「南京新唱」が収められています。

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法隆寺は、10年くらい前に行ったかと思っていましたが、19年前でした。8月に訪れているのですが、夢殿の救世観音さまの公開時期ではなかったので、見ていないです。



救世観音さま。

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[『NHK 国宝への旅 15』より]


10年前に、東京の三井記念美術館に「奈良の古寺と仏像 會津八一のうたにのせて」という展示を見に行っているのですが、法隆寺の金堂の壁画と夢違観音さまのことは日記に書いているものの、救世観音さまのことは書いてませんでした。こちらでも展示されていなかったのだと思います。

みほとけによせる想い〜東京三越前「三井記念美術館」
2010年7月26日の日記


ふたたび會津八一さんの歌を読みたくなったのは、篠田桃紅さんの『103歳になってわかったこと』を読んでいたら、法隆寺夢殿の救世観音の會津八一さんの歌が引用されていたからです。

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雨地(あめつち)にわれ一人いて立つごとき この寂しさを君は微笑む


篠田桃紅さんは、會津八一さんのことを、
「孤高の人でしたが、観音様をお連れにしていたのだと知りました。観音様もまた一人で立っている。この寂しさを君は微笑む、ほんとうの孤独を知っている人でなければ、こういう歌はつくれなかったと思います。」と書いています。

そんなことをしたためている篠田桃紅さんですが、會津八一さんから絶縁状の手紙が来て、謝りの手紙を書こうとしていたが果たせなったという文章が、篠田桃紅さんの随筆集の『桃紅 私というひとり』と『その日の墨』に載っています。

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篠田桃紅さんの書いた本で、一番好きな本です。


『桃紅 私というひとり』〜篠田桃紅さん
2018年11月17日の日記




會津八一さんは、法隆寺の歌もいろいろ詠んでいます。法隆寺金堂の壁画の歌です。

 おほてらの かべのふるゑに うすれたる ほとけのまなこ われをみまもる

 (おおてらの壁画の中に、薄れて消えかけた仏の眼が私をじっとみつめている。)

  會津八一「南京新唱」より
 

 うすれゆく かべゑのほとけ もろともに わがたまのをの たえぬともよし

 (うすれてゆく壁画の仏たちと一緒に、私の生命が絶えてもかまわない。)
   
  會津八一「南京新唱」より


そういえば、火事で焼けた法隆寺金堂の壁画の復元の様子をテレビで少し前にやっていました。
東京国立博物館でこの3月から開催予定だった「法隆寺金堂壁画と百済観音」が、コロナで中止になって残念です。



またゆっくりと會津八一さんの歌を味わいたいと思います。



救世観音さまは、春と秋の公開なので、秋の公開のときに訪れてみたいです。


會津八一さんと篠田桃紅さんの本を読みながら、こんな本も参照しながら読んでいました。

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# by momokororos | 2020-06-27 12:41 | 気持ち | Trackback | Comments(0)

情熱のフラメンコ〜鴨居羊子さんの『午後の踊り子』

鴨居羊子さんの『午後の踊り子』。
鴨居羊子さんが大好きなのですが、鴨居さんの本の中で一番好きな本です。


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出だしの「オーレ・フラメンコ」の章からワクワクする書き出しです。

土曜日のお勤めは二時半まで。次が日曜日だと思うと午後の陽ざしまで、ゆったりと長目にのびて、普通の日とは時間の内容も異なった様相を呈してくる。
私は二時半のブザーが鳴るやいなや、バッグともう一つ、レッスン着をつめこんだ大袋をひっさげて、オフィスを大あわてでとびだし斜めに走り出す。つまり斜め二筋向こうにフラメンコの練習場がある。
オフィスをとびだしたとたんに私は下着会社の社長ではなく、カミシモを脱いでアッパッパを着た女の子になる。私は踊り子だ。まるで女学生のように身が軽く、その前途がどうなるやも判らぬ危なげな斜めのよろよろ歩きで、胸をふくらませてとんでゆく。
昔もこんな気持ちのときがたくさんあったような気がする。するとあんまり変わっていないのかな。そんなことはどちらでもいい。私はひどく忙し気に歩く。一分たりとも遅れると、師匠は容赦なくレッスンを始めてしまうし、五分遅れれば二つほどの足さばきは終わってしまう。
[鴨居羊子、『午後の踊り子』より]


鴨居羊子さんは下着デザイナーであり、下着の会社を設立した人です。

鴨居羊子さんは、熱くて負けず嫌いだけど、負けちゃうときは負けちゃうし、見栄っ張りだけど情に厚く、泣き虫で優しいです。そんな矛盾に満ちた存在がとても魅力です。

そんな鴨居羊子さんのフラメンコ奮闘記。鴨居さんの踊りと情熱的な気持ちが伝わってきます。


鴨居さんは、こんなことを書いています。

ところが今回からは四方に敵がいるのである。己が脚にかけて、溜息など意地でもつけぬのである。
自分の足音がどんな音をしているかを注意深く聞きながら、足を踏まねばならぬところを、自分のはそっちのけで、隣りの雪江の足音に私は必死で耳をかたむける。「チェッ。いい音だしてるな。靴がどうも新しいのに違いない」などと思う。隣りがちょっとでも間違えると「ヘン! あの足さばきは習ってないんだな。どうだい」とか、少しでも「フー、シンドイ」などと敵がつぶやこうものなら「バンザーイ」と、もう大声で叫びそうになる。何のためにやってるのかさっぱり判らないが、敵もさるもの、なかなか弱音を吐かない。
[鴨居羊子、『午後の踊り子』より]

鴨居さんたらそんなこと言ってしまって、とほくそ笑んでしまいます。
林芙美子さんの感情豊かなところとどこかしら似ているかなとも思います。

挿し絵も素敵です。

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挿し絵も表紙の装画も鴨居羊子さんの絵で、うまいのかへたなのか、可愛いのか可愛くないのかわからないのですが、不思議と魅力を感じます。鴨居さんの人格や性格がでている人間的な絵だからかもしれません。


この『午後の踊り子』は、わたしのこれまで読んだ本のベストにはいるくらい好きな本です。





# by momokororos | 2020-06-25 22:04 | | Trackback | Comments(0)