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今宵のように、ときおり風が騒ぎ、一人を意識する日には、久坂葉子さんの本を読みたくなります。 久坂葉子さんの『幾度目かの最期』。 あらためて彼女の略歴を見ましたが、戦前の生まれであることをふたたび意識させられました。1960年から1970年代くらいの人に感じ、つい最近の人だったとしても違和感ありません。神戸に生まれ、若くして神戸で夭折した女性です。 『幾度目かの最期』に収められている「四年のあいだのこと」には、女学校の私が、毎朝会う年上の男性への思慕の想いが綴られています。 毎朝きまって私と人影は石段で会うことになっていた。それは、むこうにとっては偶然だったかも知れない。けれども私にとっては、どうしても会わなければならないと思うのだった。石段の中間で体と体がすれ合う時、私は相手の瞳をじっと見る。然し、人影は私にまなざし一つかけてくれるではなく、行ってしまうのだ。 何度それがくりかえされたであろうか。四月の半ば頃から六月頃まで、そうして毎朝すぎて行った。くっきり晴れた、そして白い雲のぽかぽか浮んでいる日もある。川の水が増す雨の日もある。その時はどうしても傘をつぽめなければならない。そして人影のもつ大きな黒いこうもりの半分つぼめたその先っちょよりつたう雫が私のおさげの襟元に流れこむこともある。それは冷たいと感じるより何か大きな快感であったのだ。十六の小娘はこうして人影に恋を感じた。いや、恋とは云えないかも知れない。愛とも云えまい。だが、ゆめのようにあわい、うすいものではなく、それは今迄に例のない程、激しくかなり強いことは確かであった。 [久坂葉子、『幾度目かの最期』より] 可愛らしい想いと意思の強さを感じます。その自意識と周りとの関係の中でうまく生きることができなかった彼女を感じます。 『久坂葉子作品集 女』の帯に書かれている、井上靖さんと曽野綾子さんの文章を読み、久坂葉子さんのことに深く想いをよせます。 井上 靖氏評 久坂葉子が彼女の人生の出発点に於て、自ら生命を断ったということを思う度に、私はいつも憤りを感じないわけには行かない。固い果実が風に一揺れ二揺れしただけで、己が生涯に見切りをつけて、さっさと自分から枝を離れた感じである。 しかし、彼女の自殺に対して、私が憤りを感じるのは彼女が若かったという一事のためかも知れない。自殺の意味というものは、彼女があと三十年生きて死んだとしても、そこにどれほどの違いがあるであろうか。彼女の死の意味は、若かったが故に浅かったとも小さかったとも言えない。ただ三十年後に感ずべきことを、久坂葉子は二十歳そこそこの固い果実の表皮に感じ取ってしまっただけのことである。天才であった作家久坂葉子の悲劇である。 作家久坂葉子は背後に光芒をひいて飛び去った一個の流星に似ている。光芒は彼女を知っている人々の眼から長い間消えないことであろう。 曾野綾子氏評 「幾度目かの最期」の久坂葉子氏の遺書的な作品を私は確かVIKINGという同人雑誌で読んだのであった。そして久坂氏については、きわめて個人的な感情をかつて持っていたことを、私は告白しなければならない。その頃、当然私はまだ、無名の文学少女だった。そしてその時から今まで、私にとって、文学上の嫉妬という言葉であらわさねばならぬ才能にぶつかったのは、久坂葉子氏ただひとりだったのである。彼女はその当時から、私にないそして私の好きな種類のすべての才能を持っていた。音楽に対する造詣の深さ、才気、デカダンな生き方をする歯切れのよさ…。太宰にしてもこの久坂氏にしても、本質的にあるいは生理的に生きることの辛いという人がいて、それはその人の心がけでなおるというようなものではまったくない。それほどに繊細に人生を受けとめざるをえないという神経が、つまりはその人々の才能というものなのである。 #
by momokororos
| 2020-07-10 22:04
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堀辰雄さんの『大和路・信濃路』。 「信濃路」の「辛夷の花」中に、主人公が奈良を巡り木曽福島で泊ってから再び汽車に乗っているときのことが書かれています。 隣の夫婦が辛夷の花が咲いていると話しているのを小耳をはさみ、本を読んでいた主人公の妻に話しかけます。 「むこうの山に辛夷の花がさいているとさ。ちょっと見たいものだね。」 「あら、あれをごらんにならなかったの。」妻はいかにもうれしくってしようがないように僕の顔を見つめた。 「あんなにいくつも咲いていたのに。……」 「嘘をいえ。」こんどは僕がいかにも不平そうな顔をした。 「わたしなんぞは、いくら本を読んでいたって、いま、どんな景色で、どんな花がさいているかぐらいはちゃんと知っていてよ。……」 「何、まぐれあたりに見えたのさ。僕はずっと木曾川の方ばかり見ていたんだもの。川の方には……」 「ほら、あそこに一本。」妻が急に僕をさえぎって山のほうを指した。 「どこに?」僕はしかし其処には、そう言われてみて、やっと何か白っぽいものを、ちらりと認めたような気がしただけだった。 「いまのが辛夷の花かなあ?」僕はうつけたように答えた。 「しようのない方ねえ。」妻はなんだかすっかり得意そうだった。「いいわ。また、すぐ見つけてあげるわ。」 が、もうその花さいた木木はなかなか見あたらないらしかった。僕たちがそうやって窓に顔を一しょにくっつけて眺めていると、目なかいの、まだ枯れ枯れとした、春あさい山を背景にして、まだ、どこからともなく雪のとばっちりのようなものがちらちらと舞っているのが見えていた。 僕はもう観念して、しばらくじっと目をあわせていた。とうとうこの目で見られなかった、雪国の春にまっさきに咲くというその辛夷の花が、いま、どこぞの山の端にくっきりと立っている姿を、ただ、心のうちに浮べてみていた。そのまっしろい花からは、いましがたの雪が解けながら、その花の雫のようにぽたぽたと落ちているにちがいなかった。…… [堀辰雄、『大和路・信濃路』より] この妻というのが堀多恵子さんで、昭和18年に奈良に訪れ、帰りに木曽福島に寄ってからの汽車の中のことを書いたものです。 堀多恵子さんの『来し方の記・辰雄の思い出』には、 十八年には寒い二月に、若い医学生の森達郎君をつれて志賀高原に雪を楽しみに出かけたり、四月には私と、木曾路をまわって大和に行ったりした。木曾福島のつたや旅館で、宿の女主人に乞われて画帳に書いた。 春の大和に往って 馬酔木の花ざかりを見ようとして途中木曾路をはって来たら 思ひがけず雪がふっていた これは数少い自筆の一つとして残った。 [堀多恵子、『来し方の記・辰雄の思い出』より] 読んでいて、久しぶりに堀多恵子さんの本をまた読みたくなりました。 堀多恵子さんの『少女との対話』。 装幀は、串田孫一さん。 堀多恵子さんのこの本が一番好きです。 ずいぶん昔ですが、COWBOOKSさんが南青山にあった頃に手にいれた本です。 朝から強い北風が吹き、時々不気味な風の唸りが聞こえていた。 そんな日の昼下がり、玄関のベルが鳴った。戸を開けて出て見ると、生き生きと輝くような少女が両頬を真っ赤にして立っていた。彼女は門扉が開いていたので、おそるおそる中に入って来て見ると、誰かがいるような気配に、勇気を出してベルを押したのだときちんと説明し、丁寧に挨拶をした。 ヴェランダには火の気はなかったが冬の陽が一杯に射し込み、暖かな場所をつくっていた。私は彼女に中に入ってもらった。一月にもこの寂しい山麓の里を訪ね、わが家のベルを押した人が何人かいたが、風邪気味だった私は誰にも逢わなかった。今年初めてのかわいい来客である。椅子に腰かけた少女はふっくらとした両手で頬を押さえ、少し恥ずかしせかうに笑っていた。寒風を突いて一生懸命歩いて来たのだろう。 [堀多恵子、『少女との対話』] 堀多恵子さんの文章を読むと、信州の高原の明るさやすがすがしさがありありと伝わってくるかのようです。 この「少女との対話」の舞台は、軽井沢から西へ2駅の信濃追分で、いまは堀辰雄文学記念館になっているところだと思います。 信濃追分や軽井沢は、堀辰雄さんや室生犀星さんに深沢紅子さんの記念館、立原道造さんもゆかりの地で、何年も行くのを憧れているところなのですが、軽井沢に停まらない北陸新幹線に乗ってしまって寄れていません。 持っている堀辰雄さんと堀多恵子さんの本です。 金沢の室生犀星記念館で、堀辰雄さんの展示をしていて、多恵子さんがとってあった辰雄さんからの手紙が展示されていて、そのときから信濃追分の堀辰雄文学記念館に行きたいと思っていました。もう5年もたってしまいました。 今年行きたいけど、諸事情で無理かもしれません。 #
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| 2020-07-07 22:38
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ヴィルヘルム・ハマスホイさんの「静かなる詩情」の図録。 先日、学芸大学の流浪堂さんに久しぶりに寄っていたのですが、コロナで開催が中止になる前に東京都美術館で開催されていた「ハマスホイとデンマーク絵画」を見にいってよかった、という話しを聞きました。お店にあるハマスホイさんの写真集をだしてきてもらったのですが、とってもよかったので手にいれました。 ハマスホイさんの図録からです。 人はいないけど、むかし人がいた気配を感じさせます。 この光の射しこむ感じ、かつてわたしも感じています。 開け放たれたドアに、人の動きや風の流れを感じます。 当分は開催されることはないかもしれませんが、いつか実際の絵を見て見たいものです。 「ハマスホイとデンマーク絵画」 #
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| 2020-07-06 22:37
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無着成恭さんの『無着成恭の詩の授業』。 少し前ですが、まだ都内を自由に闊歩していた1月か2月に、中目黒のCOWBOOKSさんのスタッフさんからすすめてもらった本です。帯はスタッフさんが書いたものです。字が間違ってるはご愛嬌。 これまでのわたしの世界の捉えかたや理解についてため息をつくほどでした。詩をフィーリングで読んでいた自分に気づきました。悪いことではないとは思いますが、言葉の重みや比喩などとらえてはいなかったと思います。 1つの詩を選び、教室で授業をする無着先生のドキュメンタリーが綴られた本。 わからない詩に、無着先生の問いかけにみずからの解釈をしていく子どもたち。無着先生の、子どもたちの解釈に私じしんが巻きこまれていきます。 COWBOOKSさんのスタッフさんは、授業を聞いているかのよう、と話していました。裏表紙には、スタッフさんのその想いが書かれています。 本に載っている草野心平さんの詩の授業からいいなと思いました。 春の歌……草野心平 ほっ まぶしいな。 ほっ うれしいな。 みずはつるつる。 かぜはそよそよ。 ケルルン クック。 ああいいにおいだ。 ケルルン クック。 ほっ いぬのふぐりがさいている。 ほっ おおきなくもがうごいてくる。 クックック。 ケルルン クック。 ケルルン クック。 「何かを卒業をしたい」と前から思っていたわたしには、真壁仁さんの「峠」の詩もよかったです。 ただ単に読んでいるだけでは、わからない、感じないで過ぎさってしまう詩の言葉。無着先生の授業の様子を聞くと、それぞれの詩のよさや深みが見えてきます。 この本はあげてしまいましたが、また無着先生の詩の授業を受けたいなと思いました。 #
by momokororos
| 2020-07-04 20:20
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先日の日記で、鴨居羊子さんの『午後の踊り子』が読んだ本のベストにはいると書きましたが、わたしのお気にいりの本20選です。 1位から10位です。 1位は、林芙美子さんの『放浪記』。 林芙美子さんの自伝的な小説です。林芙美子さんの目に映る光景に、激しいココロの揺れが素直に綴られていて、「芙美子さんたら」と思ってしまう箇所がたくさんです。 東京や下関、直方、尾道、兵庫、高松、新潟などが出てきます。東京だと渋谷や銀座、浅草、神楽坂、新宿など。雑多で猥雑でさまざまな想いが交錯します。 「放浪記」は、好きがこうじて3冊持っています。文庫本の『放浪記』は厚いですが、旅先に携えていくこともあります。 『放浪記』の魅力〜林芙美子さん 2016年7月25日の日記 2位は、江國香織さんの『ぼくの小鳥ちゃん』。 20回くらいは読みかえしています。 小鳥ちゃんのわがままが可愛いんです。 江國香織さんの小説は、40冊くらい読んでいるのですが、一番好きです。 3位は、William Wondoriska(ウィリアム・ワンドリスカ)さんの『ALL BY MYSELF』。 「I can」で始まる主人公のアリソンちゃんはなんでもできてしまいます。改めてすごいなあと感じます。 この自信たっぷりのアリソンちゃんが素敵です。 <わたしのお気にいり絵本50選(2018年)〜ベスト1位 - ベスト5位 2018年1月3日の日記 4位は、志村ふくみさんの『一色一生』。 初めて読んだ志村ふくみさんの本で、志村さんの初期の頃のエッセイです。 単行本は活版印刷で触り心地もうっとりです。 志村さんの展示会があるとたまに見にいったり、テレビで紹介されている番組があると見いってしまいます。 お花を咲かせる樹のチカラ 2014年2月5日の日記 5位は、二階堂奥歯さんの『八本脚の蝶』。 大阪水無瀬の長谷川書店さんで手にとった本なのですが、彼女が読んだたくさん本やその洞察がすごいです。ほとんど読んだことがない本だったのですが、影響されて載っていた本をいろいろ買って読んでみました。8位に入っているTerry Wi(テリー・ワイフェンバック)さんの『LANA』もそのうちの1冊です。 若くして夭折した彼女は、自身と世の中や、ココロとカラダのギャップに悩ませられた1人かもしれません。 『八本脚の蝶』は文庫にもなっています。 6位は、鴨居羊子さんの『午後の踊り子』。 鴨居羊子さんは下着デザイナー。その当時前衛的と思える下着を発表しています。 エッセイには、彼女の喜怒哀楽が素直に情熱的に綴られていて惹きこまれます。そして描く絵も個性的なイラストで惹かれます。 鴨居羊子さんの本の中では、『午後の踊り子』が一番好きということを先日の日記に書きました。鴨居羊子さんは好きが高じてたくさんの本を読んでいます。 熱き情熱と葛藤〜鴨居羊子さん 2016年11月9日の日記 情熱のフラメンコ〜鴨居羊子さんの『午後の踊り子』 2020年6月25日の日記 7位は、山名文夫さんの『Yamama Ayao 1998』。 山名文夫さんの絵やポスターなどが紹介されています。 資生堂のデザイナーだった山名文夫さんの描くイラストは繊細でたおやかで気品があり惚れました。 掛川にある資生堂アートハウスに、山名文夫さんの作品があるみたいなので見にいきたいと思っています。 美しいイラスト集〜山名文夫さん 2015年9月6日の日記 8位は、TERRI WEIFENBACH(テリー・ワイフェンバック)さんの『LANA』。 『LANA』を手にいれてから、ワイフェンバックさんの写真集は5、6冊買っています。中でも『LANA』が一番好きです。 『LANA』〜テリー・ワイフェンバックさんの写真集 2016年9月27日の日記 9位は、香月泰男さんと谷川俊太郎さんの『春夏秋冬』。 香月泰男さんのこの素敵な本と出逢ったのはどこでだったのか忘れてしまいましたが、山口長門市にある香月泰男美術館まで足を運びました。美術館の一番奥にある香月さんのデスクから眺める外の緑がとても素敵でした。 先日、香月泰男さんの伴侶の香月婦美子さんの本を見つけました。この本のことはまた後日書きたいと思います。 ベスト20の本に入りませんでしたが、金子みすゞさんも好きで、同じく山口県長門市にある金子みすゞ記念館も香月泰男美術館からバスで30分くらいで合わせて訪れることができます。 「春夏秋冬」〜香月泰男さん 2014年3月29日の日記 10位は、Andre Kertes(アンドレ・ケルテス)さんの『from my window』。 奥さんと過ごしたアパートの窓辺の風景のポラロイドで撮られた写真集です。 長年連れ添った妻を亡くなってから撮られた写真は物哀しい雰囲気をたたえています。 アンドレ・ケルテスさんの写真集〜亡き妻への想い 2017年6月18日の日記 #
by momokororos
| 2020-07-03 21:44
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