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カテゴリ:本( 353 )

寂しいということ〜メイ・サートンさんの『74歳の日記』

先日、近くの本屋さんで、メイ・サートンさんの新刊の『74歳の日記』を見つけました。

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メイ・サートンさんの魅力はなかなか言葉では表わせないのですが、喜怒哀楽に満ちた表現と、歯に衣着せぬ言い方にもかかわらず、自分と対話し、相手と対話し、自然と対話しながら、その中でひとり生きることを省察していく姿には魅力を感じます。



サートンさんの日記の文章から。

4月13日 日曜日

やっと本格的な春らしい日。明るく輝く太陽、風はなく、遠くのほうからうみのささやき……というより、静かなとどろきが聞こえてくる。最初にここに引っ越してきたとき、何度も電車が通る音がしたと思ったのを思い出す。でもそれは海の音だった ー 通りすぎるのではなく、ずっとそこにある海の。
体が不自由になってよかったことがひとつだけある。何人かの友人が闘っている病気について、自分が健康だったときよりずっと気にかけ、共感できるようになった。日々くり返される小さな喜びや失望を分かち合うことで、互いにうちとけた気持ちになれる。元気いっぱいで健康そのものの人というのは、まったく役に立たない!
[メイ・サートン、『74歳の日記』より]



からだを壊したからこそわかるサートンさんの声が聞こえてきます。



いつものようにあちこちから花が届いたけれど、その花を活けるのは楽しみというよりは苦行だった。そんなこと、今まであっただろうか。こんなにたくさんの人が誕生日を祝って、私を喜ばそうとしてくれているのに、なんて狭量な人間なんだろう。でも「私」はここにはいない ー 皆からの花を受け取ったのは愚かで病んだ動物にすぎない。
[メイ・サートン、『74歳の日記』より]


狭量な人間に愚かで病んだ人間。余裕がないとき、体調がすぐれないときには、他人の優しさも他人への思いやりに欠けているかもしれません。それわ否定していないサートンさん。


そんなサートンさんを元気づける手紙の内容が載っています。


私のもっとも差し迫った課題は、何もしないこと。そしてそこに完全な満足を見出すことです。私の猫たちが伸びをし、体を覆う毛をなめ、満ち足りた顔で夢を見るように。そして自分が必要とするごくわずかな美しい物だけを置いて、横になります。シェイクスピアのソネット。ジョン・キーツの頒歌。
[メイ・サートン、『74歳の日記』より]


満足を何に期待しているのだろうか、と考えさせる一文です。

日記の中には、自然に耳を傾ける気持ちやお花を育てる話しも綴られています。病気でカラダやココロがまいっているときにも時折語られています。


外では目を見張るような変化が起きている。それをここに書くのを忘れていた。野原はちょっと変わったピンクがかった色に変わり、背の高い草が風にそよいでいる。そして野原を貫く細い小道は明るいエメラルドグリーン。その小道を通って海まで歩いていったのはもう半年以上も前のこと。でも海の音には今までにないほど耳を傾けている。海、それはけっして静止することのない偉大な存在。
[メイ・サートン、『74歳の日記』より]


自分で感じることを見つめるサートンさん。
回復してきたサートンさんはこう書いています。


元気を回復した今、春から夏になってもずっと、ついこの前まで感じていた強烈な寂しさはもうない。なぜ孤独だったかといえば、たくさんの友人たちがやさしくしてくれて、心配してくれていたにもかかわらず、私という存在の真ん中に開いた穴を埋められる人は誰もいないから ー その穴を埋められるのは自分だけ、自分が健康になるということだけなのだ。だから寂しかったのは、本質的には自分自身を失って寂しかったということ。毎日の健康なリズムを取り戻し、仕事もできるようになった今、全然寂しいとは思わない。
[メイ・サートン、『74歳の日記』より]


サートンさんの感じる寂しさとわたしが感じる寂しさは根本的に違っていて、サートンさんは強いなと思いました。
サートンさんの本を何冊か読んでいるにもかかわらず、まだまだ自分のものになっていないと感じていること否めませんが、サートンさんに惹かれるものをいつも感じます。


先日、東京神保町の東京堂さんを訪れたら、3階のフロアでジェンダーの本の特設コーナーがあったのですが、その中に、メイ・サートンさんの『独り居の日記』が選ばれていました。ジャンルに分けることのよしあしはともかくも、サートンさんはそんなジャンルにもあたるのかと思いました。

この『74歳の日記』に続いて『回復まで』も新刊として出版されていました。



『独り居の日記』〜メイ・サートンさんの喜びと葛藤
2016年11月18日の日記

ひとりだけの素敵な時間〜3冊の本より
2016年11月1日の日記








by momokororos | 2019-12-09 22:00 | | Trackback | Comments(0)

素敵な挿絵の『プラテーロとわたし』〜山本容子さんの銅版画

先日、東京神保町のブックハウスカフェさんに寄ったときに、知っていますか?と聞かれて教えてもらった本が、山本容子さんの銅版画の絵の、ヒメネスさんの『プラテーロとわたし』。

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大好きな『プラテーロとわたし』に、大好きな山本容子さん。

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美しい絵です。

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もともと優しいいつくしみに満ちた内容なのですが、さらにやさしい気持ちになります。また読んでみたいなって思いました。



プラテーロとわたし』ふたたび
2015年2月28日の日記

by momokororos | 2019-12-06 22:23 | | Trackback(3) | Comments(0)

魅惑の神戸本屋巡り〜元町と鯉川筋

ここしばらく最近神戸に寄ると、1日ではまわりきれないことが多いことが多いです。
先日は姫路から神戸に出ていたのですが、いったん大阪に行きふたたび神戸に戻り、次の日も神戸でした。

神戸では、元町通4丁目のハニカムブックスさんから始めています。
今度開催される、年末12/25から25まで大阪の阪神百貨店に出店されるとのことで、何をだすのか気になります。古書組合に本を置いてあるとのことで見れなくて残念です。ほど近い元町商店街の神戸古書倶楽部にもハニカムさんのコーナーがあるとのことを聞きました。

高山なおみさんの『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。』を手にいれました。

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現実から思い起こされる気持ちや幻想。誰もがかかえているさみしさややりきれない気持ちを高山なおみさんが素直に語っている感じのエッセイです。高山さんの本は何冊か読んでいるけど、また違う魅力を感じられる本です。


少し元町駅の方に戻り、南京町西門にほど近い1003さんへ。
前に、さんの『塩を食う女たち』をすすめてもらい、その本がよかったという話しをしていたら、大阪に行かなくてはならない時間になり、すすめていただい本を手にいれました。


伊藤春奈さんの『「姐御」の文化史』。

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こちらは、近松門左衛門の『曽根崎心中』や『心中天網島』なども載っついて、女性の心意気を感じられる本です。この本に登場する女性は知らない人が多いので読むのが楽しみです。


青山ゆみこさんの『ほんのちょっと当事者』。

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いったん大阪にでたのですが、大阪から戻ってきて、鯉川筋のファビュラスオールドブックさんに寄ってから1003さんに戻ってきました。神戸でよく行くお店はだいたい19時でおしまいなので、20時まで開いている1003さんは貴重なお店です。

店内でビールをいただきながらお話し。1003さんは店内でビールが飲めるのです。わたしの好きなハートランドビールが置いてあります。


1003さんの店長さんが推薦の文章を書いている、多田尋子さんの『体温』。

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そして、こんなフェミニズムの雑誌?を見つけました。
『エトセトラ』。特集が、「We LOVE 田嶋陽子!」です。

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柚木麻子さんは『本屋さんのダイアナ』の本を読んでいて、山内マリコさんはもともと好きだったのですが、『あたしたちよくやってる』を読んでからジェンダー関連の本をよく読むようになりました。

楽に呼吸ができる場所とは〜柚木麻子さんの『本屋さんのダイアナ』
2019年9月10日の日記

うなずかされる気持ち〜山内マリコさんの『あたしたちよくやってる』
2019年3月24日の日記
https://momokoros.exblog.jp/28111898/


田嶋陽子さんのことはよく知らないのですが、田嶋陽子さんの8冊の本の8人による書評が載っていました。その中からまず1冊読んでみたい通り思います。



今回、出かけるときにもともと持ち歩いていた本は4冊。金沢で1冊、姫路で1冊、神戸で1冊+4冊+2冊を手にいれていて、13冊。13冊はかなり重かったです。

ちなみに、姫路のおひさまゆうびん舎さんでは、永井宏さんの『サンライト』を手にいれています。

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永井宏さんは知らなかったのですが、本の中にはわたし知っているところもでてきました。始めはマンションの一室で高山なおみさんの料理教室を開催していた、丹治史彦さんのアノニマ・スタジオさん、大阪堀江の雑貨のシャムアさん、キャトルセゾンさんや、アフタヌーン・ティーさん、大阪星ヶ丘の SAWING GALLERYさんなど。こんな知ってるところからつながりをはかれるのが楽しいです。

読んでみるまではわからなかったのですが、姫路のおひさまゆうびん舎さんで手にいれた本に高山なおみさんのことが載っていて、同じ日に神戸元町のハニカムブックスさんで、高山なおみさんの本を手にいれたことがとてもうれしいです。






by momokororos | 2019-12-01 15:31 | | Trackback | Comments(0)

大阪へのお届けもの〜東郷青児さんの挿絵の『火の菫』

姫路から神戸にでていたのですが、いったん大阪北浜へ。

北園克樹さんの詩と東郷青児さんのイラストの『火の菫』の本を届けにいくことが目的でした。

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野崎さんという方から、本に掲載したいので『火の菫』を貸してほしいという依頼がしばらく前にあり、関西に行くときに届けます、ということにしていました。

金沢と関西に来る前に、学芸大学の流浪堂さんで、その野崎さんが書いた本をたまたま見つけました。
野崎泉さん編の『東郷青児 蒼の詩 永遠の乙女たち』。


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東郷青児さんの本や、関係する喫茶店、東郷青児さんのイラストの包装紙やマッチなどが掲載されていて素敵な本でした。

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ここに掲載されている本で持っている本はごくわずか喫茶店やケーキ屋さんも京都西木屋町四条上ルのソワレさん、東京自由が丘のモンブランさんにしか行ったことがありません。いろいろ行ってみたくなりました。


『火の菫』は、昭和初期の限定部数の本。もろい箱と、繊細な紙なので、カバンの中に入れると他のものにつぶされるかなと思い、別の紙袋に入れて歩いていましたが、関西の新快速電車のボックス席で、出入りの人が紙袋のぶつかるときが一番ヒヤヒヤしました。


北浜駅からお届け先の事務所と思われる付近まで来たのですが、最後でわからなくなり電話をしました。FOLK old book storeさんのお隣りでした。
FOLKさんにはもう何年前に行ったかわからなくなりましたが、その当時は南船場のcolmoboさんや、かつてあった農林会館のBerlin Booksさん、長堀橋のフィネサブックスさんなどの本屋さんによく訪れていました。

事務所で少しお話ししました。本棚には装幀を手がけた本が並んでいて素敵でした。
こんな本をいただいてしまいました。
野崎泉さん編の『戀愛譚』。


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新しく出版される本に『火の菫』を載せるということで楽しみです。

江戸堀のCaloさんという本屋さんを教えてもらい行ったことがないと話しましたが、行ったことがありました。

大阪で他にも寄りたいところがあったですが、日曜の18時近くだったので諦めました。



「火の菫」〜北園克衛さんと東郷青児さんの本
2013年11月19日の日記
https://momokoros.exblog.jp/21341383/


東郷青児さんの展示会
2017年10月11日の日記
https://momokoros.exblog.jp/26104601/




by momokororos | 2019-11-30 15:55 | | Trackback(2) | Comments(0)

かわいい装画の表紙〜立原えりかさんの本の装画

姫路のおひさまゆうびん舎さんが、姫路文学館で開催されている「立原えりかのグリム童話」絵本原画展、のことを話題しているのを見て、久しぶりに立原えりかさんの本のことを思いだしました。

そのむかし、青山にCOWBOOKSさんの支店があった頃、立原えりかさんの本がたくさん並んでいて、素敵な物語と装幀に憧れて手にいれています。

こんな表紙の装画です。


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装幀と装画は、立原えりかさんのご主人の渡辺藤一さんです。


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立原えりかさんの本も、好きな女性作家の本棚にいれていますが、久しぶりに読もうかなと思いました。


ちなみに、姫路文学館で「立原えりかのグリム童話」絵本原画展は、12/24までです。




by momokororos | 2019-11-20 22:36 | | Trackback(1) | Comments(0)

共同体と個人から生みだす力〜藤本和子さんの『塩を食う女たち』

藤本和子さんの『塩を食う女たち』。

神戸元町の1003さんの店長さんからすすめられた本です。
すすめられなかったら自ら手にとることはなかったと思いますが、読んでみると、これまでの自分の知識からは到底はかることができない価値観を知ることができました。


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藤本さんが、アメリカに住む黒人女性に生活している場でともに行動してインタビューし、その話されたことを藤本さんの解釈をまじえて書いています。


その1人の、ユーニス・ロックハート=モスさんからは、狂気(黒人の北アメリカにおける歴史的体験)を生き延びた話しを聞いています。

黒人が奴隷として扱われていた時、その過酷な状況でしいたげられながらも、アメリカ社会での奴隷制度を正当化させるための家長制度に組みこまれていた時代には、奴隷自らの解釈で立場を逆転し、人間らしさを失わずに生き延びていた話しや、身体的な力では動かすことのできない薪を頭の上にに乗せて、8㎞も歩くアフリカの黒人女性から、個人が生き延びる力と集団の接続点を見いだし、だからこそ、奴隷時代の200年やそのあとに続く100年を生き延びることができたということも語られています。


個人の内面と宇宙的な法則との接続点については、次のようなくだりも書かれています。

60年代以降、黒人は黒いことをすべての不幸の原因にするような傾向が見えてきた。そんなことじゃつまらない。あたしたちには膨大な力と知性があることを知るべきなの。混血だからとか、両親がいないからとか、女だからとか、黒いからとか、貧しいからとか、そういう外見に付着した条件を取り払って、一気に、内面と宇宙的な法則とを接続すること。皆と討論して、あたしも学んでいる。
[藤本和子、『塩を食う女たち』より]

自らの持っている力を民族的なものや共同体とのつながりを意識することで、狂気を生き延びる力を持ちつづている、と自ら認識し生活していく黒人女性たち。先に書いた薪は屈強な男性でも持ちあげることができないそうです。



この本のあとの章に、トニ・ケイド・バンバーラさんという作家さんの話しがでてきますが、黒人社会の非言語的な共同体の暮らしを語るには言語がなく、黒人共同体の豊穣と特異性を書いていきたいという話しがでてきます。

「語る言語がない」というのは、わたしは考えたこともない解釈ですが、例えば、感動などの体験は語る言葉が見つからないとはよく言われることかもしれません。しばらく前から読んでいる西田幾多郎さんは、説明的に記述する前のそんな体験を「純粋経験」と言っていました。
そんな黒人社会の非言語的な体験を記述するために、これまで過去の体験から築きあげられてきた他の文化の言語で記述するには本質を表現しきれないものがあると思います。


少し前に、NHKの番組で、子育ての特集をしていたことがあって、人間は共同体で子育てするようにできている、ということでした。まさに黒人の共同体がその役割を担っていることが垣間見れます。


わたしは自分が母親になる以前に、すでに親だった。わたしの家族がそういうことを教えてくれたわけではなかったけれど、わたしは共同体によって、12、3歳になったら、もうおまえは親であると教えられた。みなし児になってしまった子どもがいたら、おまえが面倒を見る責任があるんだよと。世話するの。これがわたしの街路における「社会化」の過程だった。わたしは教会によって教えを受けなかったけれど、美容院で、街角で、「社会化」の教育を受けたのだから。
[藤本和子、『塩を食う女たち』より]



意識的か無意識的かは別にして、社会、共同体と個人のつながりは、生きていくという大きな力を生むものである、ということを考えます。

子どもを育てる女性たちの共同体が本来の人間の子育てにあるべき姿だということは理解できますが、現代社会における上記役割を担う、または効力を発する共同体というのはあるのだろうか、と思ってしました。
むかし日本でも、おばあちゃんや隣り近所などのつながりの共同体がありました。いまそんな共同体を担うものはあるのでしょうか。大学生などの若い人と高齢の方が一緒に住まうマンション(シェアハウス?)というのがあるという話しは聞いたことがあったりと人をつなぐ共同体のあり方が議論されることはありますが、その一方ますます個人主義的な世の中が加速されているような気がしてなりません。


藤本さんは、リチャード・ブローディガンさんのたくさんの本の翻訳をされた方で、わたしの好きな『西瓜糖の日々』も翻訳されています。翻訳家としての藤本さんしか知らず、アメリカに行き黒人女性とコミュニケーションし、深い洞察をしている方だとは思いませんでした。また違う著作を読んでみたいものです。




by momokororos | 2019-11-19 22:45 | | Trackback | Comments(0)

世界をとらえる、もしくは世界にはばたくために〜斉藤倫さんと高野文子さんの『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』

なじみの本屋さんに行くときに、自分でもいい本ないかなと探しますが、何かおすすめありますか?とおすすめを聞いています。
先日も、東京のとある本屋さんでその話していたのだけど、自分だけで完結しえるものはないのは当然なのかもしれない、と思いました。

少し前のことですが、東京神保町のブックハウスカフェさんで、斉藤倫さんと高野文子さんの画の『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』をすすめられて手にいれました。

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おととい、ブックハウスカフェさんに寄っていたのですが、話したいことがあったけど忘れてしまいました、と言ったら、『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』のことですか?と言われて、読んで日記の文章を書いていたものの、日記をアップしていないことに気づきました。

こくごのテストがダメで、作者の気もちが、わかっていないと言われた「きみ」。こんなくだりがありました(あいだの文章を抜いて書きだしています)

きみは、いった。
「作者の気もちがわかってないって」
「あったこともないやつの気もちなんて、わかるわけねーだろーって」「作者だって、わかってないんだから」
「作者だけじゃないんだよ。だいたい、じぶんが、なにを話してるかなんて、わかってないのさ」
[斉藤倫、高野文子『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』より]

このあとに、「きみ」という男の子とお母さんが話したシーンを回想するくだりがあって、その話されている言葉に隠されている本当の気持ちについてのやりとりが続き、言葉ってなんのためにあるかという疑問が話されています。この回想するくだりは、私たちもよく経験することですが、あらためて「そうだなあ」という気持ちになります。

わたしも、学校の国語に出てくる問題が苦手で、たとえば、作者の気持ちについて合っているもの以下の4つから選びなさい、なんて問題が嫌だなとも思っていました。
話し手が意図して表現したものでも受け手によって印象や理解が異なるし、正解はないと思っているので、そういう正解を求めてくる国語がずっと嫌いでした。
おそるおそる言葉を発し相手との会話を試みながら、相手の言うことと自分の言っていることをさぐり、理解しあったり共感したりする。その相手の違いによって見せる自分も話し方も違うし、他人あっての自分の考えである、ということもあらためて感じます。

おでかけをするときに、事前に調べながらも、現地で知りえた情報から事前に知らなかったところを楽しんでいく、ということと似ているかなと思いました。
わたしの場合、出かけるときに、行く場所を決めずに出かけることも多く、また調べた情報も忘れていて活用しないこともよくあり、出かけた先で見聞きしたことで行動していることがよくあります。自分的には、子どもがサッカーをするときのようにころがるボールに目を奪われるということに似ているかなと思っています。
わかっていないながらも、行動しながら人に聞き、そして人から教えてもらい、次の行動につながっていく。正解がわからないからこそ言ってみる、踏みだすということで共感が得られることが大切なことなのかもしれません。


『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』には、積み重なった本の正体とか、聞き間違った言葉とか、繰り返しの言葉、とかも話題されていて楽しいです。しかも楽しいだけではなく本質的です。
子どもたちに向けての、世界をとらえるための、もしくは世界にはばたくための助言でもあるように思えます。そして、われわれ大人のココロにも響きます。

いろんな詩人さんの詩が引用されているのですが、その中でも岡田幸生さんの詩がいいなと思いました。みんないいのですが、2つだけ紹介します。

無伴奏にして満開の桜だ

雪ひらがなでふってきた

この句集をどこかで手にいれたいなって思いました。




by momokororos | 2019-11-16 12:00 | | Trackback(385) | Comments(0)

絵本の本棚〜お部屋の本棚整理(其の三)

お部屋の本棚整理は、絵本の本棚を見せられるところまできました。


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絵本の本棚は、さきに紹介した女性の本棚の左隣りになります。
この3つの本棚はほぼ絵本で占められていますが、絵本の本棚の位置はむかしから変わっていません。
右の本棚は、ロシアと東欧絵本の本棚で、左の白い本棚はお気に入りの絵本の本棚です。むかしと変わりつつあるところは、作家さん別に絵本を並べているところです。少し前に、持っている絵本ベストを選びだしていますが、その並びだけは作家がバラバラです。

あとは、この本棚の反対側に、絵本が入っているカラーボックス2つがありますが、なかなか整理ができていなくて、絵本も大々的な整理をしようかなとも思っています。




by momokororos | 2019-11-14 22:48 | | Trackback | Comments(0)

西田幾多郎さんの「主客合一」と茶道の「主客一体」〜西田幾多郎さんの『善の研究』

先日、西田幾多郎さんのことを書きましたが、とうとう『善の研究』も手に入れて読み始めました。

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西田哲学の1つのキーワードの「主客未分(主客合一)」について、先日の日記にはこう書いています。

われわれは、認識する側(主観)と認識される対象(客観)という図式の中でモノを認識しているが、この枠組みをはずして、認識主体の「私」もない、純粋経験でモノを感じ、主客の対立ではなく、根本的なモノの見方として提唱されている「主客未分」という「我を忘れて一生懸命(一心不乱)に行為している状態」でモノごとを見ることと、
モノとなって見たり考えたりすること、が事実をとらえることであることを説いています。西田さんは「事実には主語も客語もない」と表現しています。お茶や芸術の世界とも通じるものがあることがわかってきました。

と、書きましたが、お茶の世界には「主客一体」という考え方があります。

「主客一体」は、もてなす主人だけではなく、客もその茶会の場を作りあげていく、というもので、主人のもてなしをだけではなく、そのもてなしを機敏に察知でき気配りができる客として、対等に振る舞うということです。サービスをする側、サービスを受ける側という風に分けて、サービスを受ける側だから何を要求してもいい、どんな振る舞いも許されるというようなものではありません。主人(サービスを提供する側)とお客が対等の関係であることです。
リッツ・カールトンは「紳士淑女にお仕えする我々も紳士淑女です」を謳っており、対等で双方向の関係から感動を生み、お互いが満足するということをめざしているそうです。

むかし読んだ『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』を再び読んでみました。

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西田幾多郎さんの「主客合一」は、こんな風に説かれています。

我々が物を愛するというのは、自己をすてて他に一致するの謂である。自他合一、その間一点の間隙なくして始めて真の愛情が起るのである。我々が花を愛するのは自分が花と一致するのである。月を愛するのは月に一致するのである。親が子となり子が親となりここに始めて親子の愛情が起るのである。親が子となるが故に親の一喜一憂は己の一喜一憂の如くに感じられるのである。我々が自己の私を棄てて純客観的即ち無私となればなるほど愛は大きくなり深くなる。(中略) また我々が他人の喜憂に対して、全く自他の区別がなく、他人の感ずる所を直ちに自己に感じ、共に笑い共に泣く、この時我は他人を愛しまたこれを知りつつあるのである。
[西田幾多郎、『善の研究』 第4編第5章 知と愛]

上記文章の「親が子となり子が親となり」というのは、互いにわがことのように感じられる、ということを意味し、「他人の感ずる所を直ちに自己に感じ、共に笑い共に泣く」というのは、異なるものが異なるままでひとつになること、共鳴するということです。われわれはいろんなことを2つに分けがちであるが、そう簡単には分けることができず、そういうものが分かれないものであるのが本当である、ということを西田さんは言っています。


『善の研究』の冒頭部分には、「自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主も客もない、知識とその対象が全く合一して居る」と書かれています。

経験するというのは事実其儘に知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである、純粋というのは、普通に経験といって居るものもその実は何等かの思想を交えて居るから、毫も思慮分別を加えない、真に経験其の儘の状態をいうのである。例えば、色を見、音を聞く刹那、未だ之が外物の作用であるとか、我がこれを感じて居るとかいうような考えのないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主も客もない、知識とその対象が全く合一して居る。これが経験の最醇なる者である。
[西田幾多郎、『善の研究』 第1編第1章 純粋経験]


本屋さんで西田幾多郎さんの『善の研究』を初めて見たときは、難解な文章で、何度も買うのをためらいその棚から立ち去りましたが、少し知識が増えた今ふたたび読んでみると少しわかるようになってきました。
解説から入るのは、西田さんがいう純粋経験、すなわち、「我を忘れて一生懸命(一心不乱)に行為している状態」でモノごとを見る状態、ではないですけどね。
西田さんの原著を読みながら、自分の体験に結びつけられれば、と思います。


西田幾多郎記念館〜金沢の小料理屋さんの大将からすすめてもらった哲学者
2019年11月1日の日記






by momokororos | 2019-11-12 22:38 | | Trackback(60) | Comments(0)

女性作家さんの本棚〜お部屋の本棚整理(其の二)

見えるところに本を並べるのが夢。

全部の本を見えるところに並べるのは無理なのですが、好きな女性作家さんの本棚を作りたくて、ときに部分的に作ったりもしていたのですが、好きな女性作家さんだけでも膨大な本でままなりません。


思いきって1つの本棚に入っている本をすべて空けて、女性作家さんの本を並べました。写真の右側の本棚が新しく作った本棚になります。

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結局すべては並べきれずに、文庫本などの本は、本棚の本の並びの後ろのスペースにいれこんでしまいました。そして本棚の上にも少し積みました。

この女性作家さんの本棚を作ったので、1個分の本棚のすす払いができましたが、これまで入れていた大型本を抜いて、見えないところにしまいこんであった女性作家さんの本を本棚に入れたので、抜いた本が部屋に山のように林立して、一時は目もあてられないほど部屋が荒れていました。

片づけはまだ収束はしていないのですが、少しだけ先がみえてきた感じです。




by momokororos | 2019-11-09 22:11 | | Trackback | Comments(0)