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カテゴリ:本( 329 )

奥野信太郎さんの本の魅力〜『町恋いの記』と『かじけ猫』

ここ3ヶ月くらいのあいだに、奥野信太郎さんの本を2冊読んだのですが、素敵な本でした。


『町恋いの記』。

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箱入りのこの本は、大好きな三月書房さんの本で、少し前に、中目黒のCOWBOOKSさんで手にいれました。

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お店には、特装版と通常版の療法がお店にあって比べて見たのですが、本体の布張りの装幀も含めて、特装版がやはりよくて、特装版を手にいれました。
こちらが本体です。

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『町恋いの記』は、すでにタイトルだけで魅了させられたのですが、奥野信太郎さん文章は、風情と愛惜の情があり素敵で余韻として残ります。


谷中の螢沢のくだりです。
東京の谷中に昔、蛍が見られる川が流れていたそうです。

団扇を片手に、町娘がつれだって流れのふちのここかしこに夕涼みをしていた。うす紙に螢をつつんで、しずかに別れてゆく若い女のすがたは、想いやるだにゆかしくうつくしい。その別れは、思いあったどうしの男と女とでもいいし、気のあった女どうしでもいいが、螢をうす紙につつむ主は、どうしても女でなければならない。零雨君の句をみて、ふとぼくは遠い昔の螢沢のことを思いおこす。やっと中学を出たころの、東京がまだしっとりとした時代のことである。
[奥野信太郎、『町恋いの記』より]


うす紙に蛍をつつむ、という光景はわたしは知らないのですが、うす紙を通じて蛍が光る光景は、柔らかな光がとても雰囲気があったのだろうなと思います。


蛍のことは、渋谷のことを書いたくだりにもでてきます。


少年時代ほんのしばらく青山南町に住んでいたころ、よく道玄坂あたりまで遊びにきた。
水車小屋があったり田圃が続いたりしていて、もう宮益坂をおりると、あたりはすっかり田舎の風景であった。いまの玉川電車が道玄坂上に出てくるあたりには、竹藪が生いしげっていて、その藪のなかに斎藤という小児科の医者が住んでいた。(中略)
「宮益坂の下の方までゆくと、たくさん螢がとれますよ。あれから先の水車小屋のへんにかけてが一番多いところです」
[奥野信太郎、『町恋いの記』より]


国木田独歩さんの『武蔵野』にも渋谷のくだりが出てきます。

自分は二十九年の秋の初から春の初まで、渋谷村の小さな茅屋に住で居た。(中略)
九月七日 ー「昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を払ひつ、雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるるとき林影一時に煌めく、ー」
[国木田独歩、『武蔵野』より]


藪や雑木林であった頃の渋谷に憧れます。


奥野信太郎さんは、渋谷についてこう続けます。

渋谷のよさは、町全体がまだまだ未完成だという点にある。そういうほうからいうならば若い町だということができよう。路も、家なみも、まだ整然としたものではない。あれで路や家なみがひととおり整然としてもしまったころ、今度は急速に磨きがかかってゆく方向をとってゆくことであろう。それは三年後か五年後か、いまのところはわからないが、渋谷そのものに磨きがかかってゆくのは案外早いかもしれない。それを考えると楽しみである。そういう楽しみがあるところが、渋谷というところの若い所以であり、またその若さのよさでもらあるということになる。
[奥野信太郎、『町恋の記』より]


わたしも一人で都会の街に初めて遊びにいった街が渋谷であり、なんだかんだと渋谷の街で遊び、いまでも気にかかる街です。
この本を奥野さんが書いたのは、昭和42年。渋谷109ができたのが昭和54年(1979年)なので、もっと前です。渋谷を路面電車が走っていたのが、昭和44年までなので、ちょうど奥野さんが書いた渋谷は、東急文化会館(現ヒカリエ)の前に路面電車が走っていた頃です。

こんな街への想いには、わたしもそれを体感しているような気持ちになります。



そして先日、立川を訪れたあとに中目黒のCOWBOOKSさんに寄っていたのですが、奥野信太郎さんの『かじけ猫』がまた素敵だなと思いました。

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日々感じることや、酒や女、街や旅、お洒落や本などのことを綴った随筆です。
こちらの短編の終わり方がすごくいいです。その気持ちの余韻がいまでも漂っているかのような感じで文章を終えています。


泉鏡花さんの講演のくだり。

その講演ぶりがすこぶるふるったものであった。大きな椅子の上に厚い座蒲団をしき、テーブルの上には水のかわりに熱燗の銘酒 "銀釜" を土瓶に入れてのせてある。鏡花は演壇に現れるや、いくらか面はゆいような様子であったが、やがてやおら座蒲団の上に端座し、土瓶の熱燗をコップに注いで、ごくりとやりなながら話をしはじめてゆくうちに、いい塩梅に酔がまわり、すっかり調子が出てしまってそれはさながら鏡花文学を読むような、実に漂渺とした講演になった。紅葉の話から女の話、食べものの話、酒の話と、実にまとまりのないものではあったが、そのまとまりのないところが、かえって美しい幻でもみているような、なんともいえない慈味沃々たるものを感じさせた。
[奥野信太郎、『かじけ猫』より]


泉鏡花さんはもっともっと昔の人かと思っていましたが、奥野さんと同じ時代の人だったとは驚きです。



スタッフさんが手書きした『かじけ猫』の本の帯には、「アイスクリームの甘さ」が話しがよかった、と書いてありましたが、アイスクリームや季節おりおりの食材の味や、街や空や花の風景、花の匂いやもの売り音を通じて感じられる、せつない想いを綴っていました。


長崎のことを書いたくだりも興味がひかれます。


長崎の女の美しさは、どうもその何代か前の混血を思わせるところにあるような気がする。その一人一人をつかまえてあなたの家の家系には、もしや外国の人がありはしなかったでしょうかなどと聞いてみたところで、かの女たちは解せないような顔つきをして、あるいはいいえと答えるものが大多数であるかもしれない。しかしかの女たちがただ知らないというだけで、きっと何代か前には外国の血が混じていたにちがいないと思われるような美しさをもった顔が、長崎の町のあっちこっちにみうけられる。
[奥野信太郎、『かじけ猫』より]



長崎には、長崎くんち祭が好きで4、5回通っていたことがあるのですが、観光名所は別として、街歩きはあまりしていませんでした。「ケンミンショー」だっだと思いますが、長崎の町で撮られた女性はたしかにエキゾチックな魅力を感じました。
今度長崎を訪れるときは、街行く人をみてみようかなと思います。


奥野信太郎さんの本は、他の本をもう1冊持っていたと思うので、部屋を探してみたいと思います。





by momokororos | 2019-08-18 22:59 | | Trackback | Comments(0)

縄文の魅力にはまる雑誌〜縄文ZINE

東京学芸大学の流浪堂さんへ久しぶりに訪れて、レジのところで話していると、そばに積まれてある『縄文ZINE』が目にはいりました。

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縄文が好きな友達がいるので、もらっていこうと思ったのですが、中身をパラパラと見るとかなり面白いししっかりと作られていて、縄文に興味があまりない私がはまりました。

この下の3枚の写真の女の子たちは何をしているのかわかるでしょうか。

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これら写真は、縄文土器の写真と女の子の写真がセットで、縄文土器に描かれている縄文人のポーズをまねて女の子がポーズをしているのです。
仏像を見ているときなど、仏像の印相(手の指の形)をまねることがあるのですが、縄文土器に描かれている縄文人のポーズをまねるなんて思いもよりませんでした。


未来考古学のコラムも面白いです。

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縄文の考古館である、長野県富士見町の井戸尻考古館の紹介のページ。
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この内容で無料というからすごいです。
この9号と10号を店内で見かけていたのですが、あまりにわたしが喜んでいるので、7号と8号を探して出してきてくれました。

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毎回ダンボールで送られてくるほど冊数あるそうですが、ほとんど出てしまうそうです。


そういえば、去年だったかと思いますが、東京国立博物館で、縄文の展示会が開催されていました。縄文のビーナスくらいは知っていたのですが、いま思えば見にいけばよかったです。



by momokororos | 2019-08-13 22:12 | | Trackback | Comments(0)

バーレスクのこと〜北村紗衣さんの『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』

少しさかのぼり、7月の終わりに関西に行っていたとき、姫路から神戸元町へ出ていました。
姫路で長居していたので、神戸に入ったのが19時過ぎていました。19時閉店のお店はあきらめて、閉店まで時間があるお店だけいくことにしました。

神戸元町の1003さん。
新刊が置いてある棚だけを見ました。この新刊やZINEが置いてある棚がだんだん面白くなってきています。

大阪の長谷川書店さんで手にいれた、松田青子さんの『じゃじゃ馬にさせといて』の話しをしたら、今度読書会を行う、チョ・ナムジュさんの『82年 生まれ 、キム・ジヨン』の本を見せてくれました。その本の帯には、松田青子さんの言葉が寄せられていました。

1003さんの新刊の本棚にはフェニズム関係の本がたくさんあったので、その中から1冊おすすめしてもらいました。

北村紗衣さんの『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』。

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この本の中にバーレスク(burlesque)のことを書いたくだりがあります。

現在の舞台芸術で「バーレスク」というとストリップティーズ(striptease)、つまりステージで服を脱ぐことを中心に、バレエやベリーダンスといった踊りはもちろん、お笑いや空中ブランコ、マジックから朗読までいろいろな演芸を組み合わせたパフォーマンスを指します。「ストリップティーズ」は「服を脱ぐ」という意味の’strip’と「じらす」ことを意味する’tease’からなっています。
[北村紗衣、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』より]

初めて、バーレスクという言葉を聞きました。さらに北村さんはこう語ります。

こうしたパフォーマーたちは皆自信に溢れていました。心の底では着てみたいと思っていても到底着る自信が持てないような派手でキラキラ個性的な服装や、たった数分という短さできっちり何らかのコンセプトを表現する考え抜かれたショーの構成からは、社会の押しつけを気にせず自分が美しいと思うものを表現したいという芸術的な意欲が強く感じられます。
またディタのように誰が見ても古典的な美人だと思うようなパフォーマがらいる一方、伝統的に「女性らしい」美しさとはかけ離れた容姿、つまり太っていたり、背が低かったり、やせっぽちで貧相だったり、坊主頭だったりするようなパフォーマもたくさんいます。そうしたパフォーマは画一的な美の基準を問い直し、あざ笑うような先鋭的なショーをすることも多く、こうした演目を見ていると、私たちはいたるところに美が潜んでいるにもかかわらず、いかに無思慮に伝統的な基準から外れる美を切り捨てているのか思い知らされます。
[北村紗衣、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』より]


なるほど、美しい思うもの、穢らわしいと思うものをには、社会的な価値基準が無意識に刷りこまれていて、たしかにステレオタイプ的なものを求め、それ以外を避け、ときには否定していることもあるかもしれません。


バーレスクを世界を描いたフランス映画の「さすらいの女神たち」も紹介されていたので、早速手にいれました。

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北村さんの本の中には、「バーレスクを見にいってみよう」というコラムがあって、渋谷や六本木のバーレスクを見られるところが紹介されています。


先週の土曜に「マツコ会議」を見ていたら、次週の放映で、バーレスク東京が紹介されるとのことで見てみたいと思います。今日8/10土曜の23時からの放映になります。
北村さんの先のコラムでは、「六本木のバーレスク東京は、ストリップティーズを含まないダンスショーで、伝統的なバーレスクとはかなり違います。」と書いてありますが、そういう世界をみたことがないので楽しみです。


映画の中の女性たち〜松田青子さんの『じゃじゃ馬にさせといて』
2019年7月30日の日記




by momokororos | 2019-08-10 17:33 | | Trackback(12) | Comments(0)

映画の中の女性たち〜松田青子さんの『じゃじゃ馬にさせといて』

大阪水無瀬の長谷川書店さんでは、3冊の本を手にいれたのですが、そのうちの1冊が、松田青子さんの『じゃじゃ馬にさせといて』。

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映画の中に出てくる女性の振る舞い方、生き方についての松田青子さん独自の視点で語るエッセイです。
ある映画にでてくるハイヒールのヒロインの話しが載っていて惹かれました。


100以上もの映画の話しがでてきますが、その中で私が見たのは、「美女と野獣」「ハンガーゲーム」「エクス・マキナ」「ジェラシックワールド」「ミッションインポッシブル ローグ・ネイション」「ロスト・イン・トランスレーション」くらいしかありませんでしたが、この本の中で話題されている映画は見てみたいなって思いました。

次の日に、松田青子さんの名前が載っている本を見かけました。不思議なもので、買った本を持ちあるいているうちに縁を結ぶ、というような経験たくさんです。


長谷川書店さんでは、絵本と絵の図録を手にいれています。また紹介できたらと思います。


by momokororos | 2019-07-30 22:15 | | Trackback | Comments(0)

映画の中に出てくる本の魅力

映画の中に出てくる本にとても魅力を感じます。

「イコライザー」。
何度も見ているのですが、昨晩も見ていました。
悪に立ち向かうバイオレンスもので、主人公の冷静で沈着なまでの心理行動に興味を惹かれます。

つつましい日常の生活の繰り返しをする主人公。夜中に本を読み、そして深夜にいつものカフェで続きを読みます。テーブルに置く本も手順もいつもと同じ。読んでいる本は、マーク・トゥエインの『老人と海』。いつもお店にくる客から「もう釣り上げた?」と聞かれます。

高校生のときに読んだ 『老人と海』を再読しようと、今朝探してみました。おおがかりな捜索になりましたが、見つかりました。

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「ディープインパクト」。
目を負傷した乗組員に話す『白鯨』の出だしのシーン。このシーンに惹かれ、挫折した『白鯨』をまた読んでみようと思いました。

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メルヴィルの白鯨〜『MOBY-DICK IN PICTURES』
2016年8月13日の日記




「ヒューゴの不思議な発明」。
この映画の中にも詩人の名前が出てきます。
駅の時計守の主人公の男の子ヒューゴが、駅の保安官に問いつめられたときに、知りあいの女の子の機転で助けられるシーンです。

「クリスティーナ・ロセッティ。詩人と同じ名前よ。」

映画の中のセリフなので、訳者はわかりませんが、クリスティーナ・ロセッティさんは好きな詩人で、前の日記で詩を紹介したことがあります。

「ヒューゴの不思議な発明」〜素敵な映画と詩
2017年4月28日の日記

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「ローマの休日」。
オードリー・ヘップバーンさんが演じるアン王女が、コロッセオを抜けだし広場で寝ているところを新聞記者のジョーに起こされ、酔っているかのようなアン王女は、ジョーの部屋に。長椅子で寝るように言われたアン王女がつぶやいた詩です。

“Arethusa arose
From her couch of snows
In the Acroceraunian mountains”

「アレトウサーはアクロシローニアの山々の、雪の長椅子から立ち上がらん…。」

アン王女はキーツの詩と主張し、ジョーはシェリーの詩だと主張します。はたして。。
手にいれた『キーツ詩集』には載っていませんでした。あとで調べてみたら、シェリーが正しいそうです。

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「万引き家族」。
先日紹介しましたが、『スイミー』を朗読するシーンがでてきます。

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『スイミー』を読むシーン〜「万引き家族」の映画
2019年7月16日の日記


すぐには思いだせないのですが、映画の中にいろんな本が出ているはずです。
他にもどんな本が映画の中に出ているのか知りたいです。






by momokororos | 2019-07-20 20:55 | | Trackback | Comments(0)

自分と街のシンクロ〜清水アリカさんの『昆虫の記憶による網膜貯蔵シェルター、及びアンテナ』

清水アリカさんの『昆虫の記憶による網膜貯蔵シェルター、及びアンテナ』。

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学芸大学の流浪堂さんに先日寄ったときに、店長さんから、好きかもしれないと進められた本です。

端的に説明できる本ではないのですが、そこに書かれている断片的な情景に深く共感しました。

流浪堂さんのお店で勧められたあと、店内でパラパラとページをめくり共感したくだりです。

夜の路地をひとり歩いている。少し離れた大通りからひっきりなしに聞こえていたクルマの音がふいに途切れ、入れかわりに路地の植え込みに響く虫の音の高周波がフェイドインし、ふと顔を上げると青白くチラチラ光る螢光灯の向こうにせり出している銀色の満月に遠近感を狂わされ、足もとを確かめようとして目を落とすと、街灯に照らされた影が幾重にも分裂して伸び縮みしながら交錯するのが目にはいり、路地の塀にぶつかって少し遅れて返ってくる自分の足音に気をとられてつまずきよろめくとき、もはや自分がどこにいてどこに行こうとしているのかまったくわからなってしまう、そんな瞬間。
[清水アリカ、『昆虫の記憶による網膜貯蔵シェルター、及びアンテナ』より]



この清水アリカさんの文章を読んで、自分の中に鼓舞されるものを感じます。
都会を歩くのが好きで、意味もなく都会の夜の街を流していることも多々あります。
青山や渋谷あたりで遊び、三宿や西麻布、赤坂に憧れ、神楽坂や自由が丘にはまり、いまだに東京の都心に憧れ、用もないのに都心にでたりすることが多々あります。
大阪では、西梅田、大阪駅前第一ビルから第四ビル、ディアモール、阪神百貨店、お初天神、兎我野町、太融寺町、阪急東通り、阪急百貨店、茶屋町、中崎町あたりの街が、上品さと猥雑さ、洗練と粗野、新しいものと古いものが混在していて、好きでよく界隈を歩いていました。必ずしも上品洗練新しいものがいいとは限らない魅力をかかえています。

チープで猥雑なものから、高級で洗練されたものまであらゆるものが混在する都会。風景は意味のつながりの文脈もなく、切れ切れの風景が視覚を横ぎります。刹那的な視覚の交錯と、さまざまなモノやヒトから発せられる不協和音、ときに魅惑な音楽にも聴こえます、予測できるストーリーもなく、たまたま集まった断片的な風景と喧騒から偶発的なことが起きる可能性をはらんでいます。
そしてそれぞれの、無目的を含んだ多目的、他への関心と無関心、さらにその場にいながら他の場所の誰かとつながり、目的の不明確さに加えて、その場所性の意味すら不確かなものになっています。

自分のココロや気持ちは、内発的なものから真面目なものから雑駁で猥雑なものまで脈絡なく湧きおこっており、そのそれぞれが五感で感じられる外部の世界や風景と部分的刹那的にシンクロ(もしくは拒絶)をしている感じがします。
自分の意識と呼応する風景を再構成した世界が、現実の世界といかに違うか、また自分の風景と人の意識で再構成される風景がいかに違うか面白いかもしれません。


清水アリカさんの文章は他にも興味深いくだりがたくさんで、また話題にしたいと思います、。





by momokororos | 2019-07-14 22:31 | | Trackback | Comments(0)

小川洋子さんの『アンネ・フランクの記憶』

小川洋子さんの『アンネ・フランクの記憶』。

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先日読んだ、小川洋子さんと堀江敏幸さんの『あとは切手を、一枚貼るだけ』の本の中に、アンネ・フランクさんのことがたくさんでてきます。

『アンネ・フランクの記憶』は、小川洋子さんが、オランダのアムステルダムにあるアンネ・フランクさんの隠れ家や、学校や、アンネさんを知る人を訪ねたり、アンネさんの生まれたドイツのフランクフルトを訪ねるエッセイです。アンネさんの一家は、フランクフルトからアーヘン、そしてアムステルダムに移っています。



二十六歳の時に小説の新人賞をもらって以来、わたしは幾度も同じ質問を受けるようになった。
「どうして小説を書くようになったのですか」
(中略)
改めて、じっくり考えてみて行き着いたのが、『アンネの日記』だった。わたしが最初に自分を言葉で表現したのは、日記だった。その方法を教えてくれたのが『アンネの日記』なのだ。
[小川洋子、『アンネ・フランクの記憶』より]


小川洋子は、アンネ・フランクさんがお友達に書いた架空の文通のところを注目していて、この『アンネ・フランクの世界』の本の中にも、『あとは切手を、一枚貼るだけ』の本の中にも書いています。


一通目の手紙。

これはかねてからお約束していたお別れの手紙です。
[アンネ・フランク、『アンネの日記』より]

アンネさんが書いた一通目の手紙をジャクリーヌさんが受け取っていないのに、ジャクリーヌさんから返事が来たことして書いた、架空の二通目の手紙です。

お返事たしかに受け取りました。ありがとう。すごくうれしかったわ。
[アンネ・フランク、『アンネの日記』より]

小川洋子さんは、この二通目の手紙を出して空想の世界に遊んでいるアンネさんの想像力にいたく感動をしています。


小川洋子さんの視点で、再び『アンネの日記』を読むと、前に読んで気がつかなかったところや読み飛ばしいたところが見えてきて新鮮です。

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『アンネの日記』を巡る本たち
2016年7月20日の日記



by momokororos | 2019-07-11 22:29 | | Trackback | Comments(0)

神秘的で静謐な圧倒的情景〜スーパーカミオカンデ

小川洋子さんと堀江敏幸さんの『あとは切手を、一枚貼るだけ』を読みおわりました。

手探りで読んでいるという感覚に近い読み方なのですが、主人公の2人の想いと重なるものを感じます。まとまった感想は、まだ自分の中に定着していないので書けないのですが、興味深い話しがたくさんでてきます。

その中の1つが、宇宙素粒子観測施設の見学の話しです。

本の中では、具体的な名前は出てきませんが、岐阜飛騨の神岡町にある世界最大のニュートリノ観測装置のスーパーカミオカンデです。

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[アンドレアス・グルスキー、『Andreas Gursky』より]



わたしは、スーパーカミオカンデは写真でしか見たことがないのですが、1000mもの地底深くのスーパーカミオカンデの内部は、壁には無数の金色の光センサーのガラス菅で覆われ、床は水がたたえられていて、スケールが大きく圧倒的であり、そして神秘的です。写真をよく見ると、水面には人が乗った小舟が浮かんでいます。

『あとは切手を、一枚貼るだけ』には、このスーパーカミオカンデの見学や小舟の話しが出てくるのですが、神秘的なほど静謐に満ちたスーパーカミオカンデの情景と同じように、思索的で深い物語です。私たちの感覚では測れないことに敏感な感覚を持つ2人が主人公で、共通した知識や体験、そしてそのことに対する想いがないと読みすすめるのがむずかしい小説かもしれません。


スーパーカミオカンデの写真が載った写真集の日記を、前に書いています。

マクロ的パターン〜アンドレアス・グルスキーさんの写真集
2017年8月27日の日記

『あとは切手を、一枚貼るだけ』〜小川洋子さんと堀江敏幸さん
2019年7月6日の日記



by momokororos | 2019-07-08 22:41 | | Trackback | Comments(0)

ナイフ投げの真実〜志賀直哉さんの『范の犯罪』と、スティーヴン・ミルハウザーさんの『ナイフ投げ師』

先日、本屋さんで、スティーヴン・ミルハウザーさんの新刊を見つけて手にいれました。
この本はまだ読んでいないので、読んでから紹介したいと思いますが、少し前に尾道の志賀直哉旧居で話していたことを思いだしました。

林芙美子さんの過ごした尾道
2019年6月14日の日記


志賀直哉旧居で館長さん?と話していたときに、志賀直哉さんの『清兵衛と瓢箪・網走まで』の中に収められている「范の犯罪」の短編の小説のことを教えてもらいました。

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奇術師のナイフ投げで、妻である相手にナイフが刺さり死んでしまうのですが、それが故意か過失かの話しが書かれていると教えてもらい、読んでみました。

その話しを読んで、思いだした小説があります。
スティーヴン・ミルハウザーさんの『ナイフ投げ師』。

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『ナイフ投げ師』は大好きな小説で、『范の犯罪』の話しが似ているのでびっくりしました。

『ナイフ投げ師』は、観客から自主的にナイフ投げの標的になる人を募り、ナイフ投げを行うショーの話しです。

ナイフを投げた。ある者は娘が叫び声を上げるのを聞き、ある者は娘の沈黙にはっとしたが、私たちみんなの胸にとどまったのは、ナイフが板に刺さる音が聞こえなかったという点だった。
[スティーヴン・ミルハウザー、『ナイフ投げ師』より]


スティーヴン・ミルハウザーさんはそれを見ていた観客の視点心理で、志賀直哉さんの方はナイフ投げをした奇術師の視点心理で書かれているのが違います。

同じような話しが書かれている、ということを志賀直哉旧居の館長さんに話したら、ぜひ読んでみたいと言っていました。


スティーブン・ミルハウザーさんの『ナイフ投げ師』のことを書いた日記です。2008年に読んだ本のベストに入っていて、好きな本で29位でした。

2008年に読んだ本はベスト
2009年2月21日の日記

わたしの好きな本〜ベスト26位から30位
2018年4月19日の日記



by momokororos | 2019-07-07 22:21 | | Trackback(9) | Comments(0)

『あとは切手を、一枚貼るだけ』〜小川洋子さんと堀江敏幸さん

小川洋子さんと堀江敏幸さんの『あとは切手を、一枚貼るだけ』。

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小川洋子さんが大好きなのですが、本屋さんで見かけて中身を見ずに手にいれた一冊です。

14通の手紙のやりとりですすむ物語。

出だしの1通目から、抽象度に観念性が高く、2通目に出てくる、作家のドナルド・エヴァンズさんとユジェン・バフチャルさんの2人とも知らず、書いてあることがイメージできません。

難解な文章?に想像のできない作家さん。そこで読むのを諦めるのもありでしたが、こんなくだりが書かれていました。

ぼくはその本の著者、ユジェン・バフチャル ー 片方ずつ視力を失い、ついに盲目となった写真家 ー の内側に入り込み、読めない言語で書かれている本を読めないままに読み返し、読者なのか作者なのかが不分明になるほどのめり込んでいきました。現実と夢想の入りまじったこの本との関係を、ぼくはきみと共有したかったのです。
[小川洋子、堀江敏幸、『あとは切手を、一枚貼るだけ』より]


このユジェン・バフチャルさんという写真家に興味を惹かれ、どんな作品を残したかをネットで少し調べてみました。ネットがなかった時代では、その場で調べようもなく、読むのを諦めていた本かもしれません。

2人の写真集を探しに、渋谷にある totodoさんへ。久しぶりの渋谷の桜丘あたりは再開中で何本か道がなくなっていて迷いました。
totodoさんの店長さんに聞いたら、ユジェン・バフチャルさんは、お店には今はない本だけど、以前は好きでお店に入れていたことを聞きました。店長さんには、是非手にいれてほしいと伝えました。
ユジェン・バフチャル さんについて書いてある展覧会の図録があることを教えてもらいれて手にいれました。 こちらにはユジャン・バフチャルと書いてあります。

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多重露光の幻想的な感じです。

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そして、中目黒のdessinさんに、ドナルド・エヴァンズさんの図録があるということを聞き、dessinさんに出向きました。エヴァンズさんは空想で絵を描いている切手の作品を残しています。エヴァンズさんはdessinさんのスタッフさんが好きと言っていました。

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サラ・ミッダさんがこんなテイストの絵を描いていますね。



『あとは切手を、一枚貼るだけ』の本は、2人の作家さんのことを知ったから先に進めるかもしれないので、先を読んでみようかなと思います。



by momokororos | 2019-07-06 11:54 | | Trackback(108) | Comments(2)