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2019年 11月 16日 ( 1 )

世界をとらえる、もしくは世界にはばたくために〜斉藤倫さんと高野文子さんの『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』

なじみの本屋さんに行くときに、自分でもいい本ないかなと探しますが、何かおすすめありますか?とおすすめを聞いています。
先日も、東京のとある本屋さんでその話していたのだけど、自分だけで完結しえるものはないのは当然なのかもしれない、と思いました。

少し前のことですが、東京神保町のブックハウスカフェさんで、斉藤倫さんと高野文子さんの画の『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』をすすめられて手にいれました。

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おととい、ブックハウスカフェさんに寄っていたのですが、話したいことがあったけど忘れてしまいました、と言ったら、『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』のことですか?と言われて、読んで日記の文章を書いていたものの、日記をアップしていないことに気づきました。

こくごのテストがダメで、作者の気もちが、わかっていないと言われた「きみ」。こんなくだりがありました(あいだの文章を抜いて書きだしています)

きみは、いった。
「作者の気もちがわかってないって」
「あったこともないやつの気もちなんて、わかるわけねーだろーって」「作者だって、わかってないんだから」
「作者だけじゃないんだよ。だいたい、じぶんが、なにを話してるかなんて、わかってないのさ」
[斉藤倫、高野文子『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』より]

このあとに、「きみ」という男の子とお母さんが話したシーンを回想するくだりがあって、その話されている言葉に隠されている本当の気持ちについてのやりとりが続き、言葉ってなんのためにあるかという疑問が話されています。この回想するくだりは、私たちもよく経験することですが、あらためて「そうだなあ」という気持ちになります。

わたしも、学校の国語に出てくる問題が苦手で、たとえば、作者の気持ちについて合っているもの以下の4つから選びなさい、なんて問題が嫌だなとも思っていました。
話し手が意図して表現したものでも受け手によって印象や理解が異なるし、正解はないと思っているので、そういう正解を求めてくる国語がずっと嫌いでした。
おそるおそる言葉を発し相手との会話を試みながら、相手の言うことと自分の言っていることをさぐり、理解しあったり共感したりする。その相手の違いによって見せる自分も話し方も違うし、他人あっての自分の考えである、ということもあらためて感じます。

おでかけをするときに、事前に調べながらも、現地で知りえた情報から事前に知らなかったところを楽しんでいく、ということと似ているかなと思いました。
わたしの場合、出かけるときに、行く場所を決めずに出かけることも多く、また調べた情報も忘れていて活用しないこともよくあり、出かけた先で見聞きしたことで行動していることがよくあります。自分的には、子どもがサッカーをするときのようにころがるボールに目を奪われるということに似ているかなと思っています。
わかっていないながらも、行動しながら人に聞き、そして人から教えてもらい、次の行動につながっていく。正解がわからないからこそ言ってみる、踏みだすということで共感が得られることが大切なことなのかもしれません。


『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』には、積み重なった本の正体とか、聞き間違った言葉とか、繰り返しの言葉、とかも話題されていて楽しいです。しかも楽しいだけではなく本質的です。
子どもたちに向けての、世界をとらえるための、もしくは世界にはばたくための助言でもあるように思えます。そして、われわれ大人のココロにも響きます。

いろんな詩人さんの詩が引用されているのですが、その中でも岡田幸生さんの詩がいいなと思いました。みんないいのですが、2つだけ紹介します。

無伴奏にして満開の桜だ

雪ひらがなでふってきた

この句集をどこかで手にいれたいなって思いました。




by momokororos | 2019-11-16 12:00 | | Trackback(385) | Comments(0)