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2019年 11月 12日 ( 1 )

西田幾多郎さんの「主客合一」と茶道の「主客一体」〜西田幾多郎さんの『善の研究』

先日、西田幾多郎さんのことを書きましたが、とうとう『善の研究』も手に入れて読み始めました。

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西田哲学の1つのキーワードの「主客未分(主客合一)」について、先日の日記にはこう書いています。

われわれは、認識する側(主観)と認識される対象(客観)という図式の中でモノを認識しているが、この枠組みをはずして、認識主体の「私」もない、純粋経験でモノを感じ、主客の対立ではなく、根本的なモノの見方として提唱されている「主客未分」という「我を忘れて一生懸命(一心不乱)に行為している状態」でモノごとを見ることと、
モノとなって見たり考えたりすること、が事実をとらえることであることを説いています。西田さんは「事実には主語も客語もない」と表現しています。お茶や芸術の世界とも通じるものがあることがわかってきました。

と、書きましたが、お茶の世界には「主客一体」という考え方があります。

「主客一体」は、もてなす主人だけではなく、客もその茶会の場を作りあげていく、というもので、主人のもてなしをだけではなく、そのもてなしを機敏に察知でき気配りができる客として、対等に振る舞うということです。サービスをする側、サービスを受ける側という風に分けて、サービスを受ける側だから何を要求してもいい、どんな振る舞いも許されるというようなものではありません。主人(サービスを提供する側)とお客が対等の関係であることです。
リッツ・カールトンは「紳士淑女にお仕えする我々も紳士淑女です」を謳っており、対等で双方向の関係から感動を生み、お互いが満足するということをめざしているそうです。

むかし読んだ『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』を再び読んでみました。

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西田幾多郎さんの「主客合一」は、こんな風に説かれています。

我々が物を愛するというのは、自己をすてて他に一致するの謂である。自他合一、その間一点の間隙なくして始めて真の愛情が起るのである。我々が花を愛するのは自分が花と一致するのである。月を愛するのは月に一致するのである。親が子となり子が親となりここに始めて親子の愛情が起るのである。親が子となるが故に親の一喜一憂は己の一喜一憂の如くに感じられるのである。我々が自己の私を棄てて純客観的即ち無私となればなるほど愛は大きくなり深くなる。(中略) また我々が他人の喜憂に対して、全く自他の区別がなく、他人の感ずる所を直ちに自己に感じ、共に笑い共に泣く、この時我は他人を愛しまたこれを知りつつあるのである。
[西田幾多郎、『善の研究』 第4編第5章 知と愛]

上記文章の「親が子となり子が親となり」というのは、互いにわがことのように感じられる、ということを意味し、「他人の感ずる所を直ちに自己に感じ、共に笑い共に泣く」というのは、異なるものが異なるままでひとつになること、共鳴するということです。われわれはいろんなことを2つに分けがちであるが、そう簡単には分けることができず、そういうものが分かれないものであるのが本当である、ということを西田さんは言っています。


『善の研究』の冒頭部分には、「自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主も客もない、知識とその対象が全く合一して居る」と書かれています。

経験するというのは事実其儘に知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである、純粋というのは、普通に経験といって居るものもその実は何等かの思想を交えて居るから、毫も思慮分別を加えない、真に経験其の儘の状態をいうのである。例えば、色を見、音を聞く刹那、未だ之が外物の作用であるとか、我がこれを感じて居るとかいうような考えのないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主も客もない、知識とその対象が全く合一して居る。これが経験の最醇なる者である。
[西田幾多郎、『善の研究』 第1編第1章 純粋経験]


本屋さんで西田幾多郎さんの『善の研究』を初めて見たときは、難解な文章で、何度も買うのをためらいその棚から立ち去りましたが、少し知識が増えた今ふたたび読んでみると少しわかるようになってきました。
解説から入るのは、西田さんがいう純粋経験、すなわち、「我を忘れて一生懸命(一心不乱)に行為している状態」でモノごとを見る状態、ではないですけどね。
西田さんの原著を読みながら、自分の体験に結びつけられれば、と思います。


西田幾多郎記念館〜金沢の小料理屋さんの大将からすすめてもらった哲学者
2019年11月1日の日記






by momokororos | 2019-11-12 22:38 | | Trackback(60) | Comments(0)