ミヒャエル・エンデさんの「モモ」を読みました。
「モモ」 ミヒャエル・エンデ、大島かおり訳、岩波書店 時間どろぼうと、時間を盗まれた人間の心の変化を描く物語です。 昔読んだ本なのですが、あらためて読むまですっかり忘れていました。 あいての話しを聞くことや、自然のささやきを素直に感じることができて、 はるかな夢を見ることができる主人公「モモ」のところには、みんなが自分自身を見つけだしにきます。 「いぜんにはな、みんなはモモのところに話を聞いてもらいによく来たものだ。話を聞いてもらっているうちに、みんなはじぶんじしんを見つけ出したんだ-おれの言う意味をわかってもらえるかな。ところじゃいまじゃ、みんなはもうそんなことはしたがらない。いぜんには、みんなはおれの話を聞きにもよく来たものだ。そしてじぶんじしんをわすれたものだ。ところじゃそれもいまじゃしたがらない。そんなことにつかう時間がないって言っている。...」 自分を見つけだすことと、自分を忘れること、 逆説的でありながら、どちらも本当に必要なことだと感じます。 無我夢中で楽しんで「我を忘れる」ということもあるけれど、 忘れて捨てて、はじめて見つけだすものも多いような気がします。 時間どろぼうはこう言います、 「時間の倹約のしかたくらい、おわかりでしょう。...」 そして、そんな時間を節約しはじめた人たちのことをこう書いています。 「人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです。」 時間を節約しないさい、ってことを聞いたことがあります。 やることがあるなら無駄に過ごすな、ってことでしょうか。 はたまた、効率的にせよ、ってところでしょうか。 そのために、やっていることを楽しめるココロがなくしてしまう、ということが節約なのかもしれません。 そういう解釈をすると、まさに今の自分自身に当てはまるような気がします。 そして、さらに、こんな文章も気にかかります。 「いま彼女自身が身をもって知ったこと-それは、もしほかの人びととわかちあえるのでなければ、それを持っているがために破滅してしまうような、そういう富があるのということだったからです。」 時間どろぼうに時間を盗まれ、世界の人たちが時間を節約しモモと話しをしなくなってからも、 モモは自分の豊かな世界を持ち続けています。でも1人で素敵な想いをもっていることのさみしさに気づきます。 わかちあうこと。そのうれしさがわかると喜びも倍増し世界も広がることにここ最近気づきました。 わかちあうことの楽しさを描いた絵本も先日読んだことがあって、大好きな絵本の1つになっています。 「モモ」は、読めば読むほど、いろんなことを教えてくれる本だなって感じました。 また少し時間をおいて読んでみたいって思います。 実は、ここ1ヶ月以上も本を読むことができませんでした。 モモを読んでから、続けて本を読むことができるようになりました。 本を読むことは大好きなことだったのですが、 好きなことができなくなる、ということはかなり危険信号だったかもしれません。 ミヒャエル・エンデの絵本「ゆめくいこびと」を紹介してくれたお友達に感謝です~ 「ゆめくいこびと」は、探して是非読みたいと思ってます。 そして、今、読んでいる本 「さがしもの」角田光代、新潮文庫 「神様がくれた指」佐藤多佳子、新潮文庫 「うそうそ」畠中恵、新潮文庫 「みずうみ」よしもとばなな、新潮文庫 相変わらず、並列して読んでいます。集中力がないのかもしれません(笑) でも今宵は、モモを探しているときに本棚からでてきた 「はてしない物語」ミヒャエル・エンデ、上田 真而子, 佐藤 真理子訳、岩波書店 を読んでみようと思います。
by momokororos
| 2008-12-01 22:07
| 読書
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