増田れい子さんの『白い時間』。 東京中目黒のCOWBOOKSさんのスタッフさんからすすめてもらった本です。 スタッフさんは高田敏子さんの感じに似ていると言っていました。わたしは少し読んで幸田文さんをもっとやさしくした感じかなと話していたのですが、もっとやさしくやわらかな感じの文章でした。なるほど高田敏子さんに近いかもです。 子どもの頃に感じた想いや記憶の追憶なのですが、菜の花畑を眺め、菜種油で揚げた天ぷら。雨の日の水溜まりをさけた忍者歩き。麦畑に揺らす風を感じ、麦を刈りとる喜び。庭の梅の木と梅酒の思い出。 見た風景だけではなく、味わったり体を動かした記憶によって、思い出をさらに想い出深いものとして表現されていて、その思い出を追体験しているかのような感じがします。懐かしい気持ちとさわやかさを感じる澄んだ文章です。ここまですがすがしさを感じる文章は久しぶりです。 少し長いですが、増田れい子さんの文章を引用します。 春のよろこびにひたるのは、桜にあったときでも、桃や椿の紅を見たときでもない。私の場合は、菜の花である。 「三月から四月にかけて、一度でも、詩にうたわれたように、一面の菜の花にあえたら、至福である。都会暮らしがいつの間にか長くなって、よほど機会に恵まれない限り、一面の菜の花にあうことは稀だ。正直いってここ数年、いや十年にもなろうか、目路の限りの、菜の花畑にはあっていない。 はるか昔、まだ幼少のころに、そのような風景をほしいままにして、その残像が、私の内部にしまわれ、この季節になると、頭の中にせり上がってくる。その幻の菜の花畑に、随時遊ぶのがならわしである。 記憶というのはほんとうに嬉しい。それは決して摩滅することなく、時に応じてあざやかにうかび上がり私をとりまく。 [増田れい子、『白い時間』より] 純粋無垢に夏を愛し、夏に愛されたのは、やはり、こどものころであろう。 朝は、カナカナ蝉の音楽で目ざめた 夢のかなたから、潮騒のようにそれは押し寄せてくる。家のまわりの木という木に、カナカナ蝉がいならび、いっせいに音楽をはじめるようであった。午前四時か五時か、朝日がまだ昇り切らぬ、薄明のなかで、蝉は夏のうたをうたった。 [増田れい子、『白い時間』より] 全編にわたり素敵な文章がつづられています。 薄田泣菫さんの庭の自然の描写が素敵でいいなと思ったことありますが、増田れい子さんの文章はまた違った魅力です。 珠玉の随筆〜薄田泣菫さんの『獨樂園』 2015年3月19日の日記
by momokororos
| 2020-02-23 22:34
| 本
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