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女性の社会的役割への意識〜「エクス・マキナ」

映画「エクス・マキナ」。

近未来を予感させる興味深い映画で、空恐ろしいとも感じていながら、何度も見てしまうAIのアンドロイドの映画です。

『エクス・マキナ』のことを、松田青子さんは『じゃじゃ馬にさせといて』の中で、

『エクス・マキナ』は観客の批判を含めて現代社会の縮図になっているという、死ぬほどクレバーな作品で、最新型フェミニズム映画として称えたい。
[松田青子、『じゃじゃ馬にさせといて』より]

と書いています。

松田青子さんは、なぜフェミニズム映画なのかを著書の中で解説しているのですが、これまでこの映画をそういう視点で捉えたことがなかった私。そしてピンとこなかったので、いま一度『エクス・マキナ』を見てみました。

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なお、以下はかなり内容やストーリーに踏みこんでいます。


映画の舞台は、閉ざされた山のなかの研究施設。
その施設には、会社の社長とその社長が開発したAIのアンドロイドのプロトタイプのエヴァがいます。そしてそのエヴァのチューリングテストを頼まれたエンジニアの男性が施設に参加します。
チューリングテストとは、人間がコンピュータと会話をして、コンピュータと話していることが気がつかないなら合格とみなすテストです。

エンジニアの男性は、技術的に、人間的に(といっていいのかわかりませんが)、彼女に興味を惹れます。彼女も男性に興味をいだきます。
開発した社長に、なぜ性別を与えたのですか?とエンジニアが問いかけるシーンがあります。

男性技術者が女性アンドロイドを作ることは違和感はありませんが、男性側の、これまでの社会のステレオタイプ(従来の価値観)でプロトタイプのアンドロイドを作ったと感じます。アンドロイドにまで、従来の女性としての役割もしくは男の理想としての役割を作りこんでいる、さらにもっとその想いを強くして作りこんでいる感じもします。

少し前に、NHK Eテレで「世界の知性が語るパラダイム転換」の番組を放映していたのですが、その中でダニエル・デネットさんが、「AIは人間をあざむくようになるかもしれない」と言っていて、AIが知性を持つことに懐疑的な意見も呈していました。

社長の、すなわち男が期待する女性としてのアンドロイドのエヴァが作られており、エヴァも、その役割を自ら意識して、逆にそれを使い、女性的な装いや振る舞いでエンジニアの男性を魅了します。
それは、その男性をあざむき閉ざされた研究室の外にでるため。さらに女性らしい皮膚に服をまとった姿でエヴァは研究施設の外に出ていきます。

ヒビの入った研究室の窓ガラス、言葉が理解できない別の女性アンドロイド、そのアンドロイドが男性の前で服を脱ごうとするシーン、歴代の裸の女性のアンドロイドがおさめられたロッカーがあるなど、かなり示唆的です。

あらためてみると、技術者の想いの中に、男性の独善的思考が見え隠れし、それだけにとどまらず、社会的な役割に対して暗喩する映画でした。


この日記を書いていて思いだしたのが、『ニキータ』の映画。ニキータは、かつて同じ道を辿った教育担当の女性から言われます。

「限界のないものが二つあるわ。女の美しさとそれを乱用することよ」
[リュック・ベッソン監督、「ニキータ」より]

こちらもかなり示唆的です。



映画の中の女性たち〜松田青子さんの『じゃじゃ馬にさせといて』
2019年7月30日の日記




by momokororos | 2019-08-14 22:48 | 映画 | Trackback | Comments(0)
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