白洲正子さんの金沢〜『日本のたくみ』

お部屋の本を奥から引っ張りだしてきて、ときどきたくさんの本の山ができるのですが、本をあるキーワードで探すことをよくします。最近は「食」というキーワードでお部屋の本を探していました。

その昔は「京都」というキーワードで本を手にいれることが多かったですが、最近は「金沢」というキーワードで本を手にいれたりします。また金沢のキーワードでお部屋の本をあらためて見てみると、持っている本も違う面をみせてくれます。

少し前から、白洲正子さんの書いた随筆に金沢のことが載っていないなと思い、いままで読んだ白洲正子さんの本を読みかえてしていたのですが、金沢のことについて書いてある本はなくて、思いあたる本もありません。

昨日から、白洲正子さんの『日本のたくみ』を読みかえしていたら、「土楽さんの焼きもの ー福森雅武」の中に一瞬ですが金沢が出てきました。

白洲正子さんの金沢〜『日本のたくみ』_e0152493_22200686.jpg


 去年の秋、福森さんは、「冬になったら、能登へ寒鱈を喰に行かないか」と誘ってくれた。その時、「すい場」という言葉をはじめて聞いた。本来は京都の子供たちが使う言葉だが、自分だけが知っている内緒の場所で、好きな友達か、尊敬している人間にしか教えない遊び場のことである。私は光栄に思った。心待ちにしていると、二月のはじめに電話がかかって来た。一行は黒田乾吉さんのほか二、三人で、「切符も用意してあるから、おかごに乗ったつもりで来い」といわれた。
 能登のどこへ行くとも知らず、京都の駅で待ち合わせ、北陸線に乗ると、例によって、すぐ酒宴がはじまった。私が覚えているのは、北陸にも(その年は)雪がないことと、金沢で乗りかえたことだけである。やがて、誰かの家に着き、福森さんが料理にとりかかる。乾吉さんは京都から、包丁とまな板と砥石まで持参していた。
 さて、待望の寒鱈は、東京の鱈とはぜんぜん別物で、話には聞いていたが、
こんなにおいしいものとは知らなかった。刺身にしても、ちりにしても、煮ても焼いてもうまい。ま子や白子のとろとろした味も、河豚に劣らない。そのほか、なまこにこのわたにこのこ、銀色に輝くさよりの糸づくりなど、この世のものとも思われなかった。夜になると、土地の方たちが集まって来た。雪国の人はお酒が強い。私が酔い疲れ、喰べ疲れて、うとうととしている傍らで、盛んに飲みかつ歌う。近頃はやりの民謡なんてものではない。潮風にきたえられたしぶい声で、盃(さかずき)の廻る間(ま)に合わせて、ゆっくりと手を打ちながら歌う。私は夢心地に、この世の極楽とはこういうものだと思って、聞きほれていた。
[白洲正子、『日本のたくみ』より]


金沢が出てきた、というほどのくだりではありませんが、白洲正子さんが能登に行っていたことを初めて知りました。食のことについて書かれているのですが、白洲正子さんは食のことを文章にはそんなには書いていない印象がします。

金沢の食のことをいろいろ書いている吉田健一さんと、白洲正子さんのつながりがないのかなと思いながら、白洲正子さんの本も読んでいたのですが、『ほんもの』という本に吉田健一さんのことが書かれていました。

白洲正子さんの金沢〜『日本のたくみ』_e0152493_22270869.jpg


白洲正子さんは、吉田健一さんのことを「健坊」と呼んでいました。年が違うのでしょうね。こちらのくだりにも金沢のことは載っていませんでした。吉田健一さんの本を読んでいても白洲正子さんの話しはでてこないので「食」というキーワードではつながらないかもしれません。



by momokororos | 2019-01-15 22:37 | | Trackback | Comments(0)


<< 天草梅肉ポーク〜渋谷美味しいもの 金沢の空〜古井由吉さんの『雪の... >>