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自己賛美と自己解放〜与謝野晶子さん

与謝野晶子さんの『春泥集』を読んで、与謝野晶子さんへの想いが再び高じてきました。

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与謝野晶子さんの『みだれ髪』。
文庫でしか持っていませんが、古い版で読みたいものです。その文庫もどこかにしまってすぐには出てこないのですが、写真に写っている『与謝野晶子歌集』には、いろんな歌集から少しずつ歌が選ばれています。この前にも日記に書いた『みだれ髪』の歌も冒頭に載っています。

その子二十櫛になるがるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな

「その子」は与謝野晶子さん。「おごりの春」は誇らしい青春。二十歳の我が身を歌う自己賛美の歌です。与謝野晶子さんが生きた明治時代。女性はつつましやかにと考えられていた時代で自分自身の女性の美しさを歌うのは大胆でした。自己賛美の歌であるとともに女性解放の歌でもあるそうです。


上記の写真の中の『24のキーワードで読む与謝野晶子』は、とっても興味深くて、私の大好きな本の1冊です。

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その本の中にとりあげられている与謝野晶子さんの歌とそれに続く一節を引用します。


一人称にてのみ物書かばや、
我は寂しき片隅の女ぞ。
一人称にてのみ物書かばや、
我は、我は。

女性運動に踏み出す女性たちに寄せただけあって、いかにもそれにふさわしい意気に満ちた詩だ。繰り返されている「我は」のひびきがそのまま作品の声調となり、主張にもなっている。取るに足りない存在という、女性に向けられつづられた社会の偏見に甘んじてみせながらも、尊厳をもって自己を表現してゆこうという熱い志の詩である。「我は」という当たり前の一人称表現が、これほど重くかつ晴れやかに詩のフレーズを満たした例はないに違いない。
一人称でのみ物を書こうていう主張は、女性の置かれている理不尽な立場を訴え、人間として当然の発言をすべしという意にほかならない。「一人称にてのみ」という限定が、虐げられてきた女性の側から意識を覚醒しようとするときの精一杯の強調であることもうなずけよう。
[今野寿美、『24のキーワードで読む与謝野晶子』より]

慎ましやかな女性が求められた時代に、自己を素直に解放していこうという与謝野晶子さんに憧れを感じます。


「『春泥集』〜與謝野晶子さんの詩集」〜2017年 5月 25日の日記
http://momokoros.exblog.jp/25799952/

「さわやかな初夏の神戸歩き〜カフェと本屋」〜2017年 5月 3日の日記
http://momokoros.exblog.jp/25744326/


むかし書いた、『みだれ髪』の日記も引用しておきたいと思います。

「みだれ髪」
2006年1月22日の日記

情景やココロが静かに想いおこる与謝野晶子の詩、とっても好きです。京都の情景がそこかしこに歌われているのもいっそう好きにさせているんでしょうね。

うすものの二尺のたもとすべりおちて蛍ながるる夜風の青き

この子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな

清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき

春の宵をちひさく撞きて鐘を下りぬ二十七段堂のきざはし


「情感あふれる歌」
2005年4月17日の日記

清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき

与謝野晶子「みだれ髪」の中の1つの歌です。
ほんと素敵です..



by momokororos | 2017-05-31 22:23 | | Trackback | Comments(0)
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