エリック・カールさんの『はらぺこあおむし』がふたたびマイブームになっています。 日本語の『はらぺこあおむし』の40周年記念限定版が出ていたのですが、いつの間にか本屋さんの店頭から見えなくなっていて、しばらく前から探していたのですが、先日、地元の本屋さんで見つけました。 日本語版は銀色の表紙です。 この40周年記念版には、 ブックレットがついています。 よくわからないかもしれませんが、はらぺこあおむしの足の違いがわかりやすいです。パッと見た目にはわかりませんが、細部をよく見ると全部書き換えています。 40周年版は、書き換え後の絵でした。 さかのぼりますが、2週間くらい前に神保町のブックハウスカフェさんで、英語の50周年記念限定版があると教えてもらい手にいれました。 英語版は金色の表紙で、50の文字も描かれています。 50の文字が描かれた表紙は、ダストカバーの表紙です。 ダストカバーをとると、50の文字がなくなります。 こちらの50周年版も、書き換え後の絵でした。 ブックハウスカフェさんでは、ボードブックも手にいれています。 ボードブックは表紙は書き換え後の絵ですが、中身の絵は書き換え前の絵でした。 1ヶ月前くらいには、学芸大学の流浪堂さんで、エリック・カールさんの『はらぺこあおむし』の英語版の絵本を見つけています。 これまで古本では見たことがなかったです。 発行年月日が書いていないのですが、イラストを見ると、書き換え前の絵です。 前に紹介した、書き換え前の古い日本語版です。 いま販売されている書き換え後の日本語版。 英語版のページ。 イチゴがころがっています。 古い日本語版。 こちらもイチゴがころがっています。 新しい今の日本語版。 こちらはイチゴがころがっていません。 エリック・カールさんの絵本〜『はらぺこあおむし』の新旧絵本 2016年9月10日の日記 #
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| 2020-08-11 22:21
| 絵本
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先週、神保町の三省堂さんを訪れていたら、ミヒャエル・エンデさんの『モモ』のコーナーが作られていました。 見てみると、NHKのEテレの「100分 de 名著」の8月の名著が『モモ』でした。 先週の第1回目は見逃しましたが、今日8/10月曜の第2回目の放映は見たいと思っています。 それに先立って『モモ』を読もうと思い、奥から出そうと思いましたが、一番奥にしまってあって、取りだすのに苦労しました。 今日のEテレの放映は、10:25から10:50までで、"時間を奪う「灰色の男たち」" がテーマです。 ミヒャエル・エンデさんの『モモ』 2016年11月21日の日記 モモ〜ミヒャエル・エンデ 2008年11月29日の日記 #
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| 2020-08-10 19:05
| 本
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6月の半ばくらいから、週に1度くらい都内に出て、職場やお昼を食べたり本屋さんに寄ったりしています。ときどき 神保町にも寄るのですが、東京堂書店さんでこんな2冊の本と出会いました。 井上靖さんの『星と祭』。 對馬佳菜子さんの『観音ガールと巡る 近江の十一面観音』。 『観音ガールと巡る 近江の十一面観音』の横に『星と祭』が並べられていて、『観音ガールと巡る 近江の十一面観音』を読んでみると、井上靖さんの『星と祭』を読んで滋賀の湖北の仏像にはまり、絶版になっていた『星と祭』の復刊プロジェクトにかかわり、『星と祭』を復刊した、ということが書いてありました。 『星と祭』は、かなりの厚さの単行本で、633ページ。片手で本を持ちながら読んでいると腕が痛くなるくらいでした。 井上靖さんの名前や作品は知っているものの読んだことあったか覚えていません。読んだとしたら『氷壁』か『しろばんば』かなと思って、お部屋の本を探してみると、『少年・あかね雲』だけ出てきました。 『星と祭』は、琵琶湖の湖上で行方不明になった子どもとその父親の話しです。読みはじめて、滋賀の湖北のお寺や仏像が出てこないにもかかわらず、物語にのめりこみました。主人公の父親の行方不明になった子への思いと、十分な会話ができなかった過去への想いから、自分のココロの奥底を見つめます。悲しみや怒り、怯え、諦めの感情に揺れる父親の気持ち。湖北の仏像を巡り、仏像の姿とそれを守ってきた地元の人々の姿をみるうちに、気持ちが変わってきます。親として子どもと向きあう気持ちから、遠くから眺める一枚の絵のように眺める気持ちへ変わります。 この本の帯に、 静かに風化せしめよ。 愛も、 憎しみも、 悲しみも、 怒りもー と、小説の中の文章が引用されているのですが、この言葉が主人公の気持ちをあらわしています。 主人公が、子どもが行方不明になったその時に感じた気持ちが、時間という流れの中で、繰りかえし再生されるとともに再構築され、残るものと残らないものにわかれ、そして個人の思いだけではなく、他の人の気持ちや思いに寄り添い、湖北や近江の人びとが生活のなかで守り継いできた観音さまへの想いとあいまって、悠久の時間に融合していくように感じました。 この小説には、湖北と近江のたくさんの十一面観音さまがでてきますが、向源寺の十一面観音さまと、盛安寺の十一面観音さまだけを見たことがあります。ただしどちらも展示会ででした。 向源寺の十一面観音さまは、東京国立博物館の「仏像」の展示でみています。 [『仏像」の図録写真より』] この少しひねった腰がなまめかしく、ぷくっとでたお腹がかわいいです。 [『仏像」の図録写真より』] 滋賀の湖西の坂本にある盛安寺の十一面観音さまは、世田谷美術館の、白洲正子 「神と仏、自然への祈り」の展示会で見ています。 [『白洲正子 「神と仏、自然への祈り」より』] なんとも美しいお姿をしています。 以前、坂本からケーブルカーで比叡山にのぼったことがありますが、坂本近くの穴太にある盛安寺のこの十一面観音さまには気づきませんでした。 どちらも魅力的な仏像で、湖北と湖西のお寺に見にいきたいと思っていますが、感染症がおさまって行けるのはまだ先になりそうです。 #
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| 2020-08-09 22:06
| 本
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荒木陽子さんの『愛情生活』。 この前、中目黒のCOWBOOKSさんに寄っていたら、荒木経惟さんの写真集とともに、荒木陽子さんの本が何冊か置いてありました。荒木陽子さんが書いた本は初めてみました。 荒木経惟さんの写真集は、『食事』という写真集を持っているのですが、その写真集は、奥さんの陽子さんが作る料理の写真を載せていて、陽子さんが亡くなる少し前までの彼女が作った料理の写真がのっています。食のエロティシズムも感じる写真なのですが、食事の写真がカラーからモノクロの写真へ移るその変化はさみしさを感じます。 『愛情生活』を読むまでは、荒木陽子さんは、荒木経惟さんとは正反対の性格を想像していたのですが、経惟さんと一緒に楽しんでいる奔放な人でした。 経惟さんの女性関係の隠すことのない言動に対して、よくできた奥さんだと言われることがあると本人も書いているのですが、あっけらかんとした性格。彼とともに楽しみ、彼の怒りやわがままにつきあい、しかもそれを凌駕しているような太っ腹な陽子さんに好感がもてます。 食べものの話しもいろいろ出てきます。 少し長いですが、引用します。 我が家では近頃魚料理をメインにする事が多く、焼き肉やビーフ・ステーキといった、肉を食べるぞ、の料理がほとんど姿を消している。これは何故かというと、夫は外でイヤというほど、スキヤキやしゃぶしゃぶなどを食べているらしいので(仕事の後で)、家でまでは食べたくないらしいのだ。 「何が食べたい?」 と聞くと 「そーだな、サッパリしたものがいいな」 と彼は必ず答える。 私も年令のせいか、アッサリ好みになってきてはいるが、それでも、スキヤキを何ヶ月も食べてなかったりすると、 (あの、しょーゆと砂糖がからまった、グツグツと煮立っている、牛肉と長ねぎと焼き豆腐を、存分に食べてみたい!) とか、 (ニンニクとバターの香りが立ち上るぶ厚いステーキを切ってみると、中はトロッとした生々しいレアで、その色と艶が、こちらの食欲を淫らなまでに誘い、思わず二百グラムの肉片をペロリと平らげてしまったのであった) などとゆー妄想にとりつかれてしまったりする。 鴨とか仔羊とかの、ちょっとクセのある肉が私は好きで、特に骨付きのラムを手摑みでかじっていると、ラムの脂で唇がテカテカに滑ってきて、不思議と妖しい気分になったりする。猛々しいような、自虐的なような心持ちに捉われて、赤ワインをグイグイと押りたくなる。 食べ物の事を書いていると、どうもオカシナ雰囲気になっていけない。さっきの、家でスキヤキを何ヶ月も食べていないので、牛肉が恋しい、なんていう箇所も、何か変な風に勘ぐられそうで心配だなあ。大体外でばかし肉を食べてくる夫がいけないのだ。外でばかし食べないで、家でも食べなさいよ、本当に。なんて書くとまたまたヤラシー感じになってきちゃって、どーしたらいーのでしょーか。 [荒木陽子、『愛情生活』より] 陽子さんのこの荒々しさはどうでしょう。。 経惟さんだけが変態かと思っていましたが、陽子さんも十分変態だったんだ、と思わせる文章がたくさん載っています。 そして感じるのは、経惟さんと陽子さんが本当に愛しあっていたこと。荒木経惟さんの『食事』の写真集や荒木陽子さんと経惟さんの『東京日和』を読むと一層そんなことを思います。 #
by momokororos
| 2020-08-08 22:17
| 本
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香月泰男さんのスケッチ集を手にいれました。 『香月泰男スケッチ集 パリ編 II』 素敵な色遣いで、パリの華やかが伝わってきます。 大判のスケッチ集で、リング綴じも魅力です。 こちらが表紙です。 1956年から1957年の5ヶ月のあいだのヨーロッパ旅行をしたときのスケッチです。 このヨーロッパ旅行について、香月泰男さんの伴侶の香月婦美子さんが本に書いているので、また紹介したいと思います。 『香月泰男スケッチ集 パリ編 I』。 子どもの絵みたいな感じですが、ものすごく魅力的です。 ちぐはぐとも感じられる自由奔放に描かれた絵が魅力です。 タッチは違いますが、アンドレ・フランソワさんもこんな描きかたをしている絵本がありました。 夜の都会を魅力をあらわしているよう絵です。わたしもそんな夜の街の雰囲気を味わいに出かけたいなと思わせるような絵です。 この香月泰男さんのスケッチ集は、学芸大学の流浪堂さんで手にいれたのですが、この香月泰男さんのスケッチ集は4冊あるみたいです。わたしは、パリの2冊とニューヨークの1冊を手にいれました。 「春夏秋冬」〜香月泰男さん 2014年3月9日の日記 #
by momokororos
| 2020-08-01 22:16
| 芸術
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