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アングランドさんの可愛い絵本。

アングランドさんの可愛い絵本。

いつも、アングランドさん、とだけ言っているのですが、ジョーン・ウォルシュ・アングランド(Joan Walsh Anglund)さんです。英名の綴りもわたしは間違えていました。

学芸大学の流浪堂さんで手にいれた、箱入りの3冊セットの絵本です。

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箱の表紙と裏表紙はこんな絵です。



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中身の3冊は、箱の表紙と同じ絵本と、箱の裏表紙と同じ絵本と、もう1冊はこんな絵本です。

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アングランドさんの絵本はたくさん持って、何を持っているのかわからなくて、本屋で見かけて買うかどうかを躊躇することが多いです。
幸い2重に買った絵本はないのですが、持っているアングランドさんの絵本の写真を撮っておいたほうがいいかもしれません。



# by momokororos | 2019-08-19 22:19 | 絵本 | Trackback | Comments(0)

奥野信太郎さんの本の魅力〜『町恋いの記』と『かじけ猫』

ここ3ヶ月くらいのあいだに、奥野信太郎さんの本を2冊読んだのですが、素敵な本でした。


『町恋いの記』。

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箱入りのこの本は、大好きな三月書房さんの本で、少し前に、中目黒のCOWBOOKSさんで手にいれました。

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お店には、特装版と通常版の療法がお店にあって比べて見たのですが、本体の布張りの装幀も含めて、特装版がやはりよくて、特装版を手にいれました。
こちらが本体です。

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『町恋いの記』は、すでにタイトルだけで魅了させられたのですが、奥野信太郎さん文章は、風情と愛惜の情があり素敵で余韻として残ります。


谷中の螢沢のくだりです。
東京の谷中に昔、蛍が見られる川が流れていたそうです。

団扇を片手に、町娘がつれだって流れのふちのここかしこに夕涼みをしていた。うす紙に螢をつつんで、しずかに別れてゆく若い女のすがたは、想いやるだにゆかしくうつくしい。その別れは、思いあったどうしの男と女とでもいいし、気のあった女どうしでもいいが、螢をうす紙につつむ主は、どうしても女でなければならない。零雨君の句をみて、ふとぼくは遠い昔の螢沢のことを思いおこす。やっと中学を出たころの、東京がまだしっとりとした時代のことである。
[奥野信太郎、『町恋いの記』より]


うす紙に蛍をつつむ、という光景はわたしは知らないのですが、うす紙を通じて蛍が光る光景は、柔らかな光がとても雰囲気があったのだろうなと思います。


蛍のことは、渋谷のことを書いたくだりにもでてきます。


少年時代ほんのしばらく青山南町に住んでいたころ、よく道玄坂あたりまで遊びにきた。
水車小屋があったり田圃が続いたりしていて、もう宮益坂をおりると、あたりはすっかり田舎の風景であった。いまの玉川電車が道玄坂上に出てくるあたりには、竹藪が生いしげっていて、その藪のなかに斎藤という小児科の医者が住んでいた。(中略)
「宮益坂の下の方までゆくと、たくさん螢がとれますよ。あれから先の水車小屋のへんにかけてが一番多いところです」
[奥野信太郎、『町恋いの記』より]


国木田独歩さんの『武蔵野』にも渋谷のくだりが出てきます。

自分は二十九年の秋の初から春の初まで、渋谷村の小さな茅屋に住で居た。(中略)
九月七日 ー「昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を払ひつ、雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるるとき林影一時に煌めく、ー」
[国木田独歩、『武蔵野』より]


藪や雑木林であった頃の渋谷に憧れます。


奥野信太郎さんは、渋谷についてこう続けます。

渋谷のよさは、町全体がまだまだ未完成だという点にある。そういうほうからいうならば若い町だということができよう。路も、家なみも、まだ整然としたものではない。あれで路や家なみがひととおり整然としてもしまったころ、今度は急速に磨きがかかってゆく方向をとってゆくことであろう。それは三年後か五年後か、いまのところはわからないが、渋谷そのものに磨きがかかってゆくのは案外早いかもしれない。それを考えると楽しみである。そういう楽しみがあるところが、渋谷というところの若い所以であり、またその若さのよさでもらあるということになる。
[奥野信太郎、『町恋の記』より]


わたしも一人で都会の街に初めて遊びにいった街が渋谷であり、なんだかんだと渋谷の街で遊び、いまでも気にかかる街です。
この本を奥野さんが書いたのは、昭和42年。渋谷109ができたのが昭和54年(1979年)なので、もっと前です。渋谷を路面電車が走っていたのが、昭和44年までなので、ちょうど奥野さんが書いた渋谷は、東急文化会館(現ヒカリエ)の前に路面電車が走っていた頃です。

こんな街への想いには、わたしもそれを体感しているような気持ちになります。



そして先日、立川を訪れたあとに中目黒のCOWBOOKSさんに寄っていたのですが、奥野信太郎さんの『かじけ猫』がまた素敵だなと思いました。

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日々感じることや、酒や女、街や旅、お洒落や本などのことを綴った随筆です。
こちらの短編の終わり方がすごくいいです。その気持ちの余韻がいまでも漂っているかのような感じで文章を終えています。


泉鏡花さんの講演のくだり。

その講演ぶりがすこぶるふるったものであった。大きな椅子の上に厚い座蒲団をしき、テーブルの上には水のかわりに熱燗の銘酒 "銀釜" を土瓶に入れてのせてある。鏡花は演壇に現れるや、いくらか面はゆいような様子であったが、やがてやおら座蒲団の上に端座し、土瓶の熱燗をコップに注いで、ごくりとやりなながら話をしはじめてゆくうちに、いい塩梅に酔がまわり、すっかり調子が出てしまってそれはさながら鏡花文学を読むような、実に漂渺とした講演になった。紅葉の話から女の話、食べものの話、酒の話と、実にまとまりのないものではあったが、そのまとまりのないところが、かえって美しい幻でもみているような、なんともいえない慈味沃々たるものを感じさせた。
[奥野信太郎、『かじけ猫』より]


泉鏡花さんはもっともっと昔の人かと思っていましたが、奥野さんと同じ時代の人だったとは驚きです。



スタッフさんが手書きした『かじけ猫』の本の帯には、「アイスクリームの甘さ」が話しがよかった、と書いてありましたが、アイスクリームや季節おりおりの食材の味や、街や空や花の風景、花の匂いやもの売り音を通じて感じられる、せつない想いを綴っていました。


長崎のことを書いたくだりも興味がひかれます。


長崎の女の美しさは、どうもその何代か前の混血を思わせるところにあるような気がする。その一人一人をつかまえてあなたの家の家系には、もしや外国の人がありはしなかったでしょうかなどと聞いてみたところで、かの女たちは解せないような顔つきをして、あるいはいいえと答えるものが大多数であるかもしれない。しかしかの女たちがただ知らないというだけで、きっと何代か前には外国の血が混じていたにちがいないと思われるような美しさをもった顔が、長崎の町のあっちこっちにみうけられる。
[奥野信太郎、『かじけ猫』より]



長崎には、長崎くんち祭が好きで4、5回通っていたことがあるのですが、観光名所は別として、街歩きはあまりしていませんでした。「ケンミンショー」だっだと思いますが、長崎の町で撮られた女性はたしかにエキゾチックな魅力を感じました。
今度長崎を訪れるときは、街行く人をみてみようかなと思います。


奥野信太郎さんの本は、他の本をもう1冊持っていたと思うので、部屋を探してみたいと思います。





# by momokororos | 2019-08-18 22:59 | | Trackback | Comments(0)

蟹江杏さんの素敵な図集「杏と世界」

蟹江杏さんの図集「杏と世界」。

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幸せに満ちあふれているような絵です。

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ほんと素敵な色遣いです。

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夜空に向けた憧れみたい。

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ささやかながら美しい。

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なんて楽しいのでしょう。

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彼女の描く絵はまさに詩です。

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初めて杏さんの作品を図集で見たのですが、見た途端ぞっこんになってしまった図集です。
大阪の長谷川書店さんで手にいれています。



# by momokororos | 2019-08-17 21:48 | 芸術 | Trackback | Comments(0)

クラフトイベントvillage〜東京立川の伊勢丹百貨店

今日は京都の五山送り火でしたが、京都には行かずに、東京立川を訪れました。
立川の伊勢丹百貨店で、villageというクラフトイベントが開催されていて見にきました。

立川は、むかし1度モノレールへの乗り換えで降りただけで、右も左もわかりません。改札から出たところの案内板の地図を見ていたのですが、行き先の伊勢丹が見つからない。北口とめぼしをつけて出てみると目の前にありました。

villageは、高知で開催されているクラフトイベントなのですが、各地でも開催されていて東京でも去年開催されています。
兵庫の尼崎の dent-de-lionさんが出店されています。


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dent-de-lionさんの店長さんとしばしお話し。店長さんは少し疲れていた感じだったので長居はしませんでしたが、お洋服やバックや小物、ハーバリウムなど、可愛くて素敵なものがたくさんでした。

展示は、20日火曜までです。


兵庫の雑貨のdent-de-lionさんの東京出店〜クラフトフェアvillage
2018年7月14日の日記




# by momokororos | 2019-08-16 22:28 | 雑貨 | Trackback | Comments(0)

今宵は京都の五山送り火

今宵は、京都の五山送り火。
台風一過の京都にサクっと行ってしまうことも考えましたが、今年は見なくてもいいかなとも思ってます。

かなり昔ですが、達人は吉田山を駆け巡り、五山のすべての送り火を見る、ということを聞いて、わたしもやってみましたが、木に遮られ2つしか見えず。それでも、吉田山から見ると、大の文字がある東山の如意ヶ嶽が近く、バチバチした火のはぜる音が聞こえて臨場感は最高です。
2009年からの日記には、この「大文字」の送り火のことは話題にしていないので、大文字の送り火を見たのはそれ以前かもしれません。

大文字と、最初の頃によく見ていたのが松ヶ崎からの妙・法。

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西大路通りの金閣寺道付近からみる左大文字の送り火を一番見ているかもしれません。

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その後、船岡山から4つが見えるということを聞いて見ていました。ちょっと山が遠いかなと思います。

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鳥居形も広沢池から見たことがあります。広沢池には灯篭が浮かべられます。


五山送り火を見にいったのは、最近だと、2013年から2015年に立て続けにいっていますが、最後に見たのが4年も前とは信じられません。2年前くらいに見ていた記憶でしたが。今年は見なくてもいいかなといつ思いが続いていているみたいです。



# by momokororos | 2019-08-16 12:51 | 祭り | Trackback | Comments(0)

なまはげのこわさ〜秋田

この前に訪れていた秋田。
秋田駅では、なまはげが特別出演していました。

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去年の竿燈まつりのときにも見かけていました。
写真では伝わりにくいのですが、かなり大きくて恐ろしい形相でウォーウォーという野太い声で唸るなまはげ。泣いてしまう小さな子どももたくさんいます。ナタもふりかざしているし、わかっていてもこわいです。

なまはげのふるさとの男鹿半島。男鹿半島には行ったことがないので行ってみたいです。調べてみたら秋田駅からそんなに遠くではなかったです。




# by momokororos | 2019-08-15 22:41 | 祭り | Trackback | Comments(0)

女性の社会的役割への意識〜「エクス・マキナ」

映画「エクス・マキナ」。

近未来を予感させる興味深い映画で、空恐ろしいとも感じていながら、何度も見てしまうAIのアンドロイドの映画です。

『エクス・マキナ』のことを、松田青子さんは『じゃじゃ馬にさせといて』の中で、

『エクス・マキナ』は観客の批判を含めて現代社会の縮図になっているという、死ぬほどクレバーな作品で、最新型フェミニズム映画として称えたい。
[松田青子、『じゃじゃ馬にさせといて』より]

と書いています。

松田青子さんは、なぜフェミニズム映画なのかを著書の中で解説しているのですが、これまでこの映画をそういう視点で捉えたことがなかった私。そしてピンとこなかったので、いま一度『エクス・マキナ』を見てみました。

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なお、以下はかなり内容やストーリーに踏みこんでいます。


映画の舞台は、閉ざされた山のなかの研究施設。
その施設には、会社の社長とその社長が開発したAIのアンドロイドのプロトタイプのエヴァがいます。そしてそのエヴァのチューリングテストを頼まれたエンジニアの男性が施設に参加します。
チューリングテストとは、人間がコンピュータと会話をして、コンピュータと話していることが気がつかないなら合格とみなすテストです。

エンジニアの男性は、技術的に、人間的に(といっていいのかわかりませんが)、彼女に興味を惹れます。彼女も男性に興味をいだきます。
開発した社長に、なぜ性別を与えたのですか?とエンジニアが問いかけるシーンがあります。

男性技術者が女性アンドロイドを作ることは違和感はありませんが、男性側の、これまでの社会のステレオタイプ(従来の価値観)でプロトタイプのアンドロイドを作ったと感じます。アンドロイドにまで、従来の女性としての役割もしくは男の理想としての役割を作りこんでいる、さらにもっとその想いを強くして作りこんでいる感じもします。

少し前に、NHK Eテレで「世界の知性が語るパラダイム転換」の番組を放映していたのですが、その中でダニエル・デネットさんが、「AIは人間をあざむくようになるかもしれない」と言っていて、AIが知性を持つことに懐疑的な意見も呈していました。

社長の、すなわち男が期待する女性としてのアンドロイドのエヴァが作られており、エヴァも、その役割を自ら意識して、逆にそれを使い、女性的な装いや振る舞いでエンジニアの男性を魅了します。
それは、その男性をあざむき閉ざされた研究室の外にでるため。さらに女性らしい皮膚に服をまとった姿でエヴァは研究施設の外に出ていきます。

ヒビの入った研究室の窓ガラス、言葉が理解できない別の女性アンドロイド、そのアンドロイドが男性の前で服を脱ごうとするシーン、歴代の裸の女性のアンドロイドがおさめられたロッカーがあるなど、かなり示唆的です。

あらためてみると、技術者の想いの中に、男性の独善的思考が見え隠れし、それだけにとどまらず、社会的な役割に対して暗喩する映画でした。


この日記を書いていて思いだしたのが、『ニキータ』の映画。ニキータは、かつて同じ道を辿った教育担当の女性から言われます。

「限界のないものが二つあるわ。女の美しさとそれを乱用することよ」
[リュック・ベッソン監督、「ニキータ」より]

こちらもかなり示唆的です。



映画の中の女性たち〜松田青子さんの『じゃじゃ馬にさせといて』
2019年7月30日の日記




# by momokororos | 2019-08-14 22:48 | 映画 | Trackback | Comments(0)