最近は、パリの写真を撮ったブラッサイさんに関連する人たちに興味を惹かれています。
今橋映子さんの『ブラッサイ パリの越境者』という本を図書館で見つけました。 ブラッサイさんは、1924年にパリに移住、1929年末から写真をはじめ、1932年に『夜のパリ』を刊行しました。 ブラッサイさんの友好関係は、アンリ・ミショーさん、パブロ・ピカソさん、ジャック・プレヴェールさん、ビル・ブラントさん、ヘンリー・ミラーさんなど多岐にわたります。 興味を惹かれたのは、ヘンリー・ミラーさん。ヘンリー・ミラーさんは1930年にパリに渡り、パリの街路を回遊していて、その4年後に『北回帰線』が刊行されたそうです。 『北回帰線』は読んだことがないのですが、こんな風に書かれています。 しかしこのなかばポルノグラフィックな英語小説は、パリで少部数しか刊行されず、アメリカでの刊行は、実に1960年代まで待たねばならなかった。ミラー同然の、金も職もない流れ者の「俺」の混沌たるパリ生活を、ほとんどストーリー無きままに描き出すこの小説では、現実(と思われる)描写が突如として夢や幻想、狂気へと急旋回し、エロティックな叙述が一挙に哲学的な瞑想に飛躍する。「俺」は芸術家であること自体が糞食らえだとニヒリズムを決め込み、「パリは売笑婦に似ている。遠くから見ると、男の魂をとろかすようであり、彼女を両腕に抱きしめるまで待ちきれぬほどだ。しかも、五分後には虚無感を味わい、自己嫌悪をおぼえる。だまされた思いだ。」と、擬人化した都市に悪態をつく。 しかし作家ヘンリー・ミラー自身は、パリの場末に至るまで観察し尽し、精緻で野心的な仕掛けでこの小説世界を構築したことが、実はブラッサイとの関係の中でこそ明らかに見えてくるのである。 [今橋映子、『ブラッサイ パリの越境者』より] 早速手にいれた『北回帰線』。 裏表紙の解説には、「その激越な性描写ゆえに長く発禁を免れなかった」と書かれており、「放浪のパリ時代の体験を奔放に綴った記念すべき処女作」とありました。 中目黒のCOWBOOKSさんに寄ったら、ヘンリー・ミラーさんのことを書いたブラッサイさんの本や、ブラッサイさんと交友関係があった人たちの話しが載った本、ブラッサイさんの写真集を出してきてくれました。『ブラッサイ パリの越境者』や『北回帰線』を読んで面白かったら読んでみようかなって思いました。 そのあと寄った学芸大学の流浪堂さん。店長さんは『北回帰線』を読んだことがあるものの挫折したとの話しを聞きました。わたしは読めるかな。 また『ブラッサイ パリの越境者』には、プルーストさんのこともでてきます。 没後出版されたブラッサイのプルースト論を読めば、ブラッサイの興味はひたすら、プルーストの写真への情熱、写真的思想にこそあったことは明らかだ。むしろプルーストとの関係で言えば、上流社交界に君臨しながら、倒錯的同性愛として社会の下層に降りていくシャルリュス男爵のような人物の軌跡、それを追っていく作家の視線こそ、のちの写真家ブラッサイが、社会の越境者として共有していくものであった。 [今橋映子、『ブラッサイ パリの越境者』より] やっぱりプルーストさんの『失われた時を求めて』も読みたいなって思います。
by momokororos
| 2016-12-03 22:57
| 本
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