矢川澄子さんの苦悩〜『兎とよばれた女』

矢川澄子さんの『兎とよばれた女』。

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絵本などの翻訳者として時折見かけていましたが、矢川さん著作を読むのは初めてです。少し前に、澁澤龍彦さんの昔の伴侶だったことを知りました。

『兎とよばれた女』は、ちょっと複雑で、矢川澄子さんの生いたちを確認しながら読みました。

複数の主人公たち、冒頭の女性、兎、かぐや、かぐやの物語のノートの筆者が登場しますが、それらは矢川澄子さん自身であり、個人的な苦悩が、過去からそしてこれからも永遠と続く愛の普遍的な苦悩にほかならないのだと、複数の主人公たちを借りて表現しているようにわたしは感じました。

ゆるしてね、わたしはあなたにおねがいすることにきめてしまったの。あなたにみていただく、知っていただく。あなたの容赦ないまなざしのまえに、いままでのあやふやな迷いのあとをのこらずさらけだして、きびしく鍛えあげ、叩き直していただく。この低迷の淵をぜひともぬけだし、この身がいままでの一度よみがえり舞いたつため、それもこんどこそはほんものの翼をもつ、ほがらかな、あかぬけたものとして、生あるかぎりどこまでもはろばろと天翔けるためには、もうそれしか、道はのこされていないような気さえするのです。
[矢川澄子、『兎とよばれた女』より]

と女性が男性に話し、そして神さまと兎が住んでいる島国の話しが語られます。

神さまはまさしく兎のすべてでした。途方もうなく大きくゆたかにひろがって、兎の全身をあたたかくすっぽい包みこんでくれることもあれば、また無限にこまやかに小さく小さくなって、兎の心の微細な日だの隅々にまでわけ入ってきてくれることもありました。
[矢川澄子、『兎とよばれた女』より]

目に見えないけど、存在を信じて疑わない兎が、神さまを感じるだけで幸せな兎。幸せなはずの兎ですが、過去の方へ目を向けるようになります。兎がみつけたかぐやの物語の本を読んで、この世の悲惨や矛盾に苦しめられたかぐやと、いま神さまとしあわせな兎自身は関係ないと思いながらも自分自身の過去もしくは想いに気づかされます。

現実の世界と過去の世界との想いの交錯は、冒頭で出てきた迷いを感じている女性も、地上での日々に限りをつけるかぐやも、悩んでいる兎も、同じような悩みを抱えています。

そして、兎はこう悟ります。

かつて兎がおのれひとりの苦難と思いこんで苦しみ、迷いぬき、あげくの果てに現実を断念せざるをえなかったこと。いまにして思えばけして兎ひとりの身にかぎられたものではなかったのだ。この世にはまだ兎とおなじ苦しみをわけもってくれるつつましいけなげな同類たちがいまでもたくさんおり、これからもまた後を絶たぬであろう。そればかりか、おなじことを苦しんでくれた女は、いままでにだって数限りなくあったはずである。
自分はいまこそ救われる、と兎は思った。いままでわが身ひとりのものと信じこんできたその苦しみが、大いなる普ねきものの一端にすぎないことを悟ったとき、兎のこころにひとすじの光明がさしそめたのだった。
[矢川澄子、『兎とよばれた女』より]

2人の男性に愛された矢川澄子さん。
澁澤龍彦さんと結婚し、のちに谷川雁さんと結婚を望んでいた矢川澄子さん。矢川さんの苦悩は、小説の中の主人公の悩みと重なり、普遍性あるものに昇華されます。
71歳で自死を選んだ矢川さん。
『兎とよばれた女』はもっと前に書かれた本ですが、苦しい思いから解放された、かぐやや兎、それは矢川澄子さんだったのでしょうか。そう思いたいです。


『兎とよばれた女』を読んで、大好きな歌を思いだしました。
むかしから繰りかえされる恋物語の悲しい結末を乙女に言いきかせるような、島崎藤村さんの『若菜集』の中の「おきく」です。

途中から抜粋します。

あゝむかしより
    こひ死にし
をとこのありと
    しるや君

をんなごころは
    いやさらに
ふかきなさけの
    こもるかな

小春はこひに
    ちをながし
梅川こひの
    ために死ぬ

お七はこひの
    ために焼け
高尾はこひの
    ために果つ

かなしからずや
    清姫は
蛇へびとなれるも
    こひゆゑに

やさしからずや
    佐容姫は
石となれるも
    こひゆゑに

をとこのこひの
    たはぶれは
たびにすてゆく
    なさけのみ

こひするなかれ
    をとめごよ
かなしむなかれ
    わがともよ

こひするときと
    かなしみと
いづれかながき
    いづれみじかき
[島崎藤村、『若菜集』より「おきく」(抜粋)]


「素敵な装幀~『明治・大正詩集の装幀』から」〜2015年7月21日の日記
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by momokororos | 2016-10-31 22:47 | | Comments(0)

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by ももころろ