林芙美子さんに想いを寄せて〜『放浪記』

林芙美子さんの『放浪記』。
いろんな本を読みながらも、気がついたら『放浪記』にもどってきている自分がいます。

今宵は、昭和25年発行の中央公論社版の『放浪記』を読んでいます。

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夜の都会を歩いていると放浪記の林芙美子さんを想い、放浪記を読んでいると夜の都会を懐かしみます。
林芙美子さんのやりきれない気持ちがわかるし、うれしさを抑えきれない気持ちもよくわかります。

男と云ふ男はみんなくだらないぢゃないの!蹴散らかして、踏みたくつてやりたい怒りに燃えて、ウヰスキーも日本酒もちやんぽんに呑み散らした私の情けない姿が、かうしていまは静かに雨の音を聞きながら床の中にぢつとしてゐる。今頃は、風でいつぱいふくらんだ蚊帳の中で、あのひとは女優の首を抱へてゐることだらう……そんなことを思ふと、私は飛行船にでも乗って、バクレツダンでも投げてやりたい気持ちなのです。
[林芙美子、『放浪記』より]

魂の声とも思える林芙美子さんの言葉。どん底に落ちながらも陰鬱感は感じません。むしろ微笑んでしまう感じで共感してしまいます。
「バクレツダン」ですか?って林芙美子さんと会話してみたくなります。


少し長いけど引用します。

白い萩の花が咲いてゐるところで横になる。草をむしりながら噛んでみる。何となくつゝましい幸福を感じる。夕陽がだんだんと燃えたつてくる。
不幸とか、幸福とか、考へた事もない暮し
だけれど、この瞬間は一寸いゝなと思ふ。しみじみと草に腹這つてゐると、眼尻に涙が溢れて来る。何の思ひもない、水みたいなものだけど、涙が出て来るといやに孤独な気持ちになつて来る。かうした生きかたも、大して苦労には思はないのだけれど、下宿料が払へないと云ふ事だけはどうにも苦しい。無限に空があるくせに、人間だけがあくせくしている。
夕焼の燃えてゆく空の奇跡がありながら、さゝやかな人間の生きかたに何の奇跡もないと云ふことはかなしい。別れた男の事をふつと考へてみる。憎いと思ふところはみんな忘れてしまった。
いまは眼の前に、なまめかしい、白い萩が咲いてゐるけれど、いまに冬が来れば、この花も茎もがらがらに枯れてしまふ。ざまあみろだ。男と女の間柄もそんなものなのでせう。不如帰の浪子さんが千年も万年も生きたいなんて云つているけれど、あまりに人の世を御ぞんじないと云ふものだ。花は一年で枯れてゆくのに、人間は五十年も御長命だ。あゝいやな事だ。
[林芙美子、『放浪記』より]

「ざまあみろだ」ていう言葉が出てきます。お花に対して普通だと嫌に思う言葉だと思うけど、林芙美子さんの心情を察して苦笑せざるを得ません。
林芙美子さんの何を知っているわけではないのですが、素直な気持ちを吐露する林芙美子さんへの憧れにほかならないと思っています。

前に林芙美子さんのことを書いたブログでも書いていますが、自分のうれしいことやかなしいこと、そして自分の嫌な部分もさらけだして語る姿に憧れを感じます。

何度読み返したかわからない『放浪記』。今宵は飲みながら、林芙美子さんと語りたいと思います。林芙美子さん、いい人生過ごしましたねっ言ってあげたいです。


「『放浪記』の魅力〜林芙美子さん 」〜2016年7月25日の日記
http://momokoros.exblog.jp/24552378/

「渋谷道玄坂のにぎわい~大正時代と今 」〜2016年3月13日
http://momokoros.exblog.jp/24216625/

by momokororos | 2016-10-29 23:00 | | Comments(0)

かわいいもの、ちいさなものが大好きです


by ももころろ