『月の塵』〜幸田文さんの本

作家や主人公の人生が破天荒だったりする小説やエッセイが好きです。林芙美子さん、白洲正子さん、鴨居羊子さんがそんな作家さんです。

打ちのめされたりするけどそれでも人生を楽しんでいたり、どん底まで気持ちが落ちこみながらもなるようになるさという楽観的な気持ちになったり、泣きたいときも腹をかかえて笑っている時もある。
喜怒哀楽、気持ちの浮き沈みがあり、それこそ生きていることの証。弱い気持ちも強い気持ちも素直に語ってくれているところが自分のココロと深く呼応します。

そんな好きな女性作家さんとともにむかしから読んでいたのが幸田文さん。

幸田文さんの本を中目黒のCOWBOOKSさんで見かけて手にいれました。

幸田文さんの『月の塵』。

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幸田文さんの本は何冊か読んでいるのですが、厳格でまじめさが感じます。遊びがない感じがして、読んでいると少し窮屈かなってCOWBOOKSで話しをしていたのですが、お店の中央のテーブルの上に置かれていた幸田さんの本に目が留まりました。

幸田文さんのお父さまは、幸田露伴さん。
『月の塵』を読むと、そんなお父さまのしつけや考え方の影響を色濃く受けている感じられます。
幸田文さんも、失敗をしたり反抗をしたりするのですが、お父さまの露伴さんが冷静に物事を見つめる方なので、お父さまとのやりとりでハメをはずす前に軌道修正している感じで、お父さまのモノので見方や考え方が娘の文さんにも自然と身についているように感じます。

お料理もお父さまから習ったと書いています。ただお嬢さまとしての茶の湯や生け花の習い事は習わされてこなくて、他人から指摘されたときに、文さんが露伴さんに訴えたくだりが書かれていて興味深いです。露伴さんがいて文さんがある、のだというくだりがたくさんでてきます。

そんな文さん。

私は幼いときから、せまく細く生きてきた。数え八、九歳のときな、もうそのことを知っていた。なにをしても、はたから注意や文句がついた。(中略)
しかし時によると、誰が強いたのでもなく、自分で作った狭い故に保っているへいあな日日に、無性に謀叛気が起きて、どなりたかった。
そんなとき、よく子供の時あそんだ草笛を連想した。
[幸田文、『月の塵』より]

文さんですら感情が激昂することもあるのだなって思いましたが、草笛を連想することでまた平安な世界に戻るのは、やはり文さんらしいかなっと思います。


雑文を書きはじめて以来、私には下手がこしらえた天ぷらのような、コロモがついている。自分が若い日に教えられた家庭のしつけについて書いたので、その文章や心構えの至らなさから、人の誤解をまねき、あたかも私はきびしいしつけのもとに行儀正しく、言葉づかい行届き家事一切おしゃれに至るまで、きっちりきちんと、乱れることのないくらしぶりかの如く、思い違えられているふしがある。
下手のこしらえた天ぷらは、衣が厚くてなかみはかぼそいのがきまりだ。(中略)
しかし一度ついた衣は、いつでも破ける、という簡単なわけにはいかなくなった。愚痴をついているうちに弱い中身は、衣の厚さにいよいよ息苦しく、痩せてくる思いがし、そこへここニ、三年来は、体力気力の後退にも追打ちをかけられる始末で、長年心身の助けに役立ってきたがかつてのしつけは、今やもう持ち重りがして、辛くなってきた。きちんとしている、という買いかぶられの衣は、もうやりきれなくなった。
[幸田文、『月の塵』より]

わたしの幸田文さんのイメージも、しつけなど何事にもきびしいという感じを抱いていたので、このくだりには驚きました。でも幸田文さんという人に親近感をもてた感じがしました。


『月の塵』は、パラパラとめくったときに、木々など自然のことが書かれていたので手にとりました。

秋の月はいうまでもなく美しさ極上。それも後々月となればひと際、きよく美しい。ちょっと肌につめたい夜気、すすきはほうけて、みやまりんどうは色が濃い。おさけのぐんとおいしい季節だし、人も恋しい季候である。
[幸田文、『月の塵』より]

月こそ見ていないもの、この『月の塵』を読んだ前の晩に、秋の夜気を感じていたくて空と雲がを眺めながら外にいたので、秋の気配を共感したようなうれしさを感じました。

部屋の奥にあるはずの幸田文さんの本は、今日は探せませんでしたが、また取りだしてあらためて読んでみたいです。
by momokororos | 2016-10-08 22:22 | | Comments(0)

かわいいもの、ちいさなものが大好きです


by ももころろ